知の快楽 哲学の森に遊ぶ
HOMEブログ本館東京を描く英文学ブレイク詩集仏文学万葉集漢詩プロフィール掲示板




内田樹・白井聡「日本戦後史論」その2


「日本戦後史論」の続き。白井聡は、「永続敗戦論」の中で、戦後日本が一方では対米従属を続けながら、他方ではアジアの国々、とりわけ中国と韓国に対して居丈高な姿勢を取り続けてきた原因を、敗戦の否認に求めたわけだが、敗戦の否認のような歴史の否認現象は、なにも日本に限ったことではなかった、と内田樹は補足する。大きな意味での歴史の否認ということでは、日本が隷従しているアメリカも、行っている。アメリカは、原住民の虐殺と土地の略奪ということろから歴史が始まる。しかし、それをなんとか正当化しないと国が持たない。そこで、なんだかんだといって歴史を歪曲してきた。それは、日本における敗戦の否認という歴史の歪曲が精々70年のスパンしか持たないのと比べれば、もっと壮大なスケールの歪曲だと言いたいようなのである。

第二次大戦に関連した歴史の否認というテーマに絞っても、日本以外にもそれを行った国はあった、と内田は言う。たとえば、フランスだ。フランスは、最初から最後まで終始一貫して連合国側に属し、ナチスドイツと戦ってこれを破った、ということになっているが、これは事実と違う。事実としては、第三共和制の正統な後継政権であるヴィシー政権が対独協力して、事実上は枢軸国であった。インドシナでは、日本軍と植民地共同統治協定を結び、国内ではユダヤ人狩りを行った。そのフランスを解放したのは、正統なフランス政府軍ではなく、フランス政府から死刑宣告を受けたお尋ね者のド・ゴール将軍であった。

そういうわけだから、フランスは第二次大戦の敗戦国といってもよい。それがそうならずに、戦勝国の一員に数えられたのは、大戦中に正統なフランス政府であったヴィシー政権がフランスを代表していなかったという擬制の上に成り立っている。つまり、歴史の否認と言うか歪曲が大規模になされているわけだ。だが、そのことを正面から指摘すると、それは日本における「自虐史観」と同じようなレッテルを貼られて排撃される、というのである。

イタリアは、要領が悪いせいか、逆のケースをたどった。イタリアは、ムッソリーニ失脚後、権力の分裂状態が起こったが、バドリオ(及びその後継)政権側は、連合国と秘かに講和協定を結び、ナチスドイツの傀儡政権と戦ってこれを破っている。だから、見方によっては、イタリアは戦争の途中から連合国側に立ち、枢軸国と戦ってこれを破ったということになる。それ故イタリアには、終戦時に「戦勝国」を名乗る権利があった。ところが実際には、イタリアは敗戦国、フランスは戦勝国というように色分けされた、というのである。

終戦直後のイタリア映画、たとえばロッセリーニの「戦火の彼方」などを見ると、イタリアのパルチザン部隊が連合国軍側と協力しながら、ドイツ及びその傀儡政権と戦っている様子が描かれている。それを見ると、イタリアは、少なくともスクリーンの上では、連合国側に立っているという印象を持たされる。筆者などはこれを見て、強い違和感を抱いたものだが、それは、イタリアが基本的には枢軸国側だと思い込んでいることから来ているのであって、内田が言うように、戦争末期においては、イタリアの正当な政府は連合国側に立っていたと思いなおせば、不自然ではなくなるわけだ。

こんな史実を紹介しながら内田は、「戦争事実をまっすぐに全面的に引き受けた敗戦国はどこにもありません。すべての敗戦国は程度の差はあれ『敗戦の否認』をした」と結論付けている。

もっとも内田はこう言うことで、日本による「敗戦の否認」に免罪符を与えているつもりではないようだ。歴史を否認することで成り立っている国は、やはりどこかで破綻の要素を抱え込んでいると指摘できる。歴史の否認によって破綻が爆発した例として、内田は1930年台以降の日本をあげる。1930年代以降の日本は、軍国主義が支配的になり、その挙句に国をあげて破滅への道を歩んだわけだが、それを推進した勢力と言うのが、明治以降の日本の歴史に強い違和感を抱き、できうればそれを否認したいと考えていた。内田がいうその勢力と言うのは、前稿でとりあげた「旧賊軍勢力」を指すわけであるが、その「旧賊軍勢力」の明治政府に対するルサンチマンの感情が、「明治レジームからの脱却」を叫ばしめ、明治政府の作りだしたものは何もかも破壊したいとする情念を煽り立てた。だから、「歴史の否認」というのは、国家の望ましい歩みにとっては、好ましくない(場合によっては破壊的な)作用をする、そう言っているわけである。

ところで、今の日本は、それが抱え込んでいる歴史の否認に綻びが出て来たような場合に、どのような反応を見せるだろうか、つまり、今までの歴史の否認が否認されて、歴史が別の相貌を帯びながら蘇ってきたら、どうなるだろうか。内田は、それについても、この本の終りに近いところで言及しているが、それについては、また別の機会にとりあげることにしよう。




HOME壺齋書評









作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2015
このサイトは、作者のブログ「壺齋閑話」の一部を編集したものである