知の快楽 哲学の森に遊ぶ
HOMEブログ本館東京を描く英文学ブレイク詩集仏文学万葉集漢詩プロフィール掲示板




池上彰、佐藤勝「新・戦争論」


佐藤勝といえば、鈴木宗男バッシングの巻き添えを食って豚箱に放り込まれた男だが、出所後もそのことについては愚痴をこぼさず、旺盛な文筆活動を展開している。その姿を筆者などはなかなか見上げた態度だと、遠くから感心していた次第である。佐藤の持ち味は、国際情勢についての鋭い分析にあると言えるが、それは彼のお家芸であるロシアやイスラエルの情勢のみならず、広い範囲に及んでいる。「新・戦争論」と題した、池上彰との対談集は、そんな彼の現下の国際情勢についての、鋭い指摘に満ちている。読んで損をしない本だ。

新・戦争論というわけは、冷戦後の世界は戦争がなくなるだろうと予想されたにもかかわらず、実際には冷戦時代よりも戦争の絶えない世の中になってしまった。20世紀が歴史上まれに見る戦争多発の時代だったとすれば、21世紀の今日は、それとの断絶ではなく連続の相において議論したほうがよい。つまり、今日という時代は20世紀から連続する戦争の世紀なのであり、冷戦時代より戦争が多くなったのはなんら不思議なことではない。そういう意味合いを込めて「新・戦争論」と言うのだそうである。

佐藤は、戦争が増えた理由は大国が帝国主義的な行動を露骨にとるようになったためだと言う。しかし、かつての帝国主義とはだいぶ行動様式が違っている。かつての帝国主義は、領土的な野心に彩られていたが、今日の帝国主義は、領土拡大の野心は持っていない。ただ、金儲けができればよいのである。金儲けのチャンスがあれば、どんなことでもやる。戦争も辞さない。第一戦争自体が金儲けのビジネスという意義を持たされている。

こんな新たな形態の帝国主義を、佐藤は「新・帝国主義」と名づける。新・帝国主義の勢力が新たな形の戦争、つまり新・戦争をやっているというわけである。

こんな分析を聞かされると、筆者などはなるほど、と思ってしまう。たしかに今の世界は、冷戦時代より戦争好きの時代になっているようだ。冷戦時代には絶対的平和主義に徹していた日本のような国でさえ、積極的平和主義の名の下に戦争に打って出ようとしている。戦争こそが、大国の生き残る道なのだ。安部晋三政権はどうもそのように思い込んでいるフシがある。日本はいまや、新・帝国主義列強の一角に名誉ある位置を占めるべき努力すべきときなのだ、というわけなのだろう。

佐藤は、新帝国主義国家のトップは馬鹿であってはならないと強調する。どんな国でも、トップが馬鹿では困るわけだが、新帝国主義国家の場合は特にそうなのだそうだ。そういうトップをいただく帝国主義国家は破滅するに違いないからだそうだ。

これに対して池上は、田母神俊夫のことを言っているのかと念を押していたが、それについては、佐藤は言を濁していた。そんな小物のことではなく、安部晋三のことが念頭にあったのかもしれない。




HOME壺齋書評









作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2015
このサイトは、作者のブログ「壺齋閑話」の一部を編集したものである