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日本がはまった罠:クルーグマン教授の経済入門


筆者が手にしている日経ビジネス文庫版の「クルーグマン教授の経済入門」にはおまけがついている。「日本がはまった罠」と題する小論だ。この小論の中でクルーグマンは、90年以降に日本が陥った深刻で長引く不況について、その本質や原因、そしてそこから脱出するには何が必要かについて論じている。

何しろクルーグマンがこの小論を書いた90年代末の時点で、日本はすでに10年近い不況にあえいでいて、それ自体が経済学の常識を超えた異常な事態だったのに、その後も日本の不況は延々と続き、2012年になった現在でも、デフレ不況は収まる様子が見えない。なぜそんなことになるのか。

日本は流動性の罠にはまっている、というのがクルーグマンの診断だ。それは簡単にいえば、「短期の名目金利がほぼゼロなのに、総需要が常に生産能力を下回っていることだ」という。経済学の常識からすれば、金利を下げれば投資が刺激されて経済は拡大するはずなのに、なかなかそうならない。それは人々が、物よりも流動性つまりお金の保有を強く選好することの結果だ、というのである。

流動性の罠の理屈をクルーグマンは、ヒックスのIS-LM分析を論じた有名な論文によりながら説明している。

「結論を先にざっと述べると、長期の成長見通しが低い~たとえば人口トレンドが明るくないとか~国では、貯蓄と投資をマッチさせるために必要な短期の実質金利は、マイナスである可能性が大いにある。名目金利はマイナスにはなれないので、その国はインフレ期待が必要になる。もし価格が何の制限もなくすぐに変れるなら(硬直的でないなら)、経済は金融政策なんか関係なしに、必要なインフレを実現できる~必要とあらば、今価格を下げて(デフレして)でも将来価格が上がるようにするだろう。でも価格があまり気軽に下がれない(下方硬直的である)とすれば、そして同時に世間が、価格は長期的には横ばいだと思っているなら、経済は必要となるインフレ期待を得られない。そしてそういう状況でなら、経済は不況に陥る。しかもこれに対しては、短期的な金融拡大は、どんな大規模なものであっても効果はない」(山形浩生訳)

では、日本は何故流動性の罠にはまってしまったのか。ヒックスのモデルでは、流動性の罠が生じるのは、未来の生産力が今の生産力よりも低い場合だと仮定されている。日本もそういう状況に陥っているのだろうか。そうだとすればその原因は、日本の人口トレンドのうちに求めることができるかもしれない。日本は急速な少子高齢化が進んでおり、この先労働人口が劇的に減少する傾向が予想されるから、というわけである。

今の時点での日本には、供給余力は十分にある。問題は需要の不足だ。需要が不足しているから、いくら物を作っても売れ残るので、価格は下落して沢山の失業が発生する。こんな状況では、構造改革とか生産性の向上を叫んでも何の役にもたたない。

では、どうしたらいいのか。ここでクルーグマンは大胆な提言をする。インフレターゲットだ。つまり日本銀行が、長期的なインフレ目標を設定して、それに向かって断固たる姿勢を取り続けるというメッセージを出すことで、さしものデフレも解消の方向に動くのではないか、それを期待しよういうわけである。

クルーグマンがこの政策提言をしたときには、侃侃諤諤の議論が沸き起こったそうだ。そもそも中央銀行の最大の使命は、貨幣の流通をコントロールして、物価を安定させることだ。それなのに自らインフレを引きおこそうとは、どういう了見だ、という批判が巻き起こりもした。

しかし、現在では、アメリカのバーナンキが実質的にインフレターゲットを設定するようになったし、日銀も先般そのあとを追うように、年平均1パーセントのインフレ目標を設定した。

これについては、インフレ期待そのものについての、経済学的あるいは倫理的な批判が依然としてあるほかに、果してスムーズな~要するに破壊的でない~インフレが実現できるのか、危ぶむ声も聞こえる。

クルーグマン自身は、デフレ解消への処方箋としてのほかに、雇用を作り出すためにも、一定のインフレは許容すべきだとかねがね考えていたらしいから、インフレターゲットはそんなに不道徳な政策だとは考えていないのだろう。




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