知の快楽 哲学の森に遊ぶ
HOMEブログ本館東京を描く英文学ブレイク詩集仏文学万葉集漢詩プロフィール掲示板


クルーグマン「世界大不況からの脱出」


クルーグマンの「世界大不況からの脱出」(三上義一訳、早川書房刊)は、1999年の「世界大不況への警告」を下敷きにして、リーマンショック後の世界的な大不況について併せて論じたものだ。前著では、1990年代におきた中南米やアジア諸国の大不況について、なにがそれらを引き起こしたのかを論じた。そこでの論点は今回の世界大不況にもそのまま当てはまる、とクルーグマンはいう。

クルーグマンの主張の核心は、第5章「倒錯した政策」の中で、要領よく述べられている。クルーグマンは、危機に陥ったアジア諸国から支援を求められたIMFが、それらの諸国に課した条件を取り上げて、それを倒錯した政策と呼ぶ。その条件とは、一つには、財政赤字の削減と、それを実現させるための増税及び政府支出の削減、もう一つは、構造改革だ。(これは、アジア諸国の場合には、クローン・キャピタリズムといわれる前近代的なシステムをヨーロッパ並みに近代化することをさした)

こうした政策は、不況を緩和するどころか、かえって激化させてしまう。ケインジアン・コンパクトとよばれる不況対策が示していたように、不況時には、金利を引き下げて投資を促進させ、財政支出を増大させて雇用を創出し、減税をして人々の消費意欲を高めることが求められる。ところが、IMFはそれと全く正反対のことを求めたわけだ。

何故か、「その答えは、いかなる犠牲を払っても、市場の信頼を獲得しなければならないと考えられたからだ」とクルーグマンはいう。つまり「国際的な経済政策は、経済学と殆ど無関係なものになった。それはアマチュア心理学になってしまったのだ」

これと全く同じ事態が、現在ユーロ危機を巡っておきている。ドイツのメルケル首相は、ギリシャのソブリン危機を救う条件として、IMFが20年前にアジア諸国に求めたのと同じ条件を課している。たとえ国民が死ぬほどの苦痛を味わうことになろうとも、市場の信頼をつなぎとめるためには、ギリシャ政府は財政赤字を解消しなければならない、というわけだ。

何故こんな倒錯的な理屈がまかりとおるようになってしまったのか。その背景にあるものとしては、金融のグローバル化、国際的な投機資金の移動、影の銀行の跳躍などがあげられるが、もっとも基本的なものは、経済行動がますます非合理的な心理メカニズムによって動かされるようになってきたことだ、とクルーグマンはいう。

そのメカニズムとは、「Self-Fulfilling Prophecy」とか「Self-Reinforcing Process」というべき現象だ。「Self-Fulfilling Prophecy」は、予言の自己成就などと訳されているが、要するに、予言が発せられると、その通りになってしまうという現象のことで、事実がどうあろうと、マーケットがそれを信じ込んでしまうと、その通りになるという、人間心理の不合理性に根差した現象である。

「Self-Reinforcing Process」は自己拡大現象というべきもので、いったんそのプロセスが始まると、連鎖反応的に拡大していくという現象である。90年代のアジア危機の際、タイでの危機が周辺諸国にも連鎖して、インドネシアなど本来健全であった国まで危機に巻き込まれたのは、それを象徴する出来事だった。

90年代のアジアや中南米の通貨危機や不況の拡大は、まさにこうした不合理な心理的メカニズムによって引き起こされたものだ、とクルーグマンはいう。現在の世界不況にもこのメカニズムが働いている。そのメカニズムがまきちらしているのは、市場に対する不信感だ。

市場を信頼できないからこそ、国際経済を支えていた金が市場から引き揚げられてしまう。その結果、多くの国では、金詰りになって、だんだんと首がしまっていく。その痛みは比較的弱さを抱えた国(たとえばギリシャのような)に集中する。だから、市場に信頼してもらえるような強力なメッセージを発しなければならない。でなければ、不信は自己増殖のプロセスをたどり、世界経済はカタストロフを迎えるだろう、というわけである。

こんな不安があるからこそ、メルケルや国際経済官僚たちは、経済学の常識に反した倒錯的な政策を追求するようになるのだろう、とクルーグマンはいいたげなようである。




HOME経済を読む






作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2007-2013
このサイトは、作者のブログ「壺齋閑話」の一部を編集したものである