知の快楽 哲学の森に遊ぶ
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シェリングの思想


シェリングはヘーゲルより五歳若かったが、ヘーゲルよりも早く有名になったし、ヘーゲルに影響を与えもした。それ故、カントからヘーゲルへと至るドイツ観念論の流れの中では、フィヒテとともに、カントとヘーゲルをつなぐ中間項としての位置づけを与えられてきた。

しかし、シェリングの思想は、生涯において幾度かの変遷を示している。特に、ヘーゲル死後には、独自の立場からドイツ観念論を批判し、ユニークな思想を展開するようになる。最近までは、シェリングの最晩年の思想が問題とされることはなかったのであるが、近年その研究が進むにつれて、シェリングをカントの亜流としてとらえるのではなく、実存主義思想の先駆者としてとらえ直す動きが出てきている。

シェリングの前半期の思想は、基本的にはフィヒテの焼き直しと言ってよい。フィヒテもシェリング同様、絶対的な自我という概念をキーワードとして使っていた。この絶対的な自我が、(我々の)個別的自我のそもそもの根拠となるばかりではなく、我々が客観的な世界と言っているものの産出者でもあると主張していた。

シェリングも、この絶対的な自我と言う普遍的な存在者から、個別具体的な存在者を導き出す。そのことを通じてシェリングは、フィヒテの問題意識の延長にあるとともに、ヘーゲルの問題意識を先取りしているともいえる。

つまりシェリングは、ヘーゲルの先駆者としての役割を果たしているということになる。ヘーゲルが絶対精神と言ったものをシェリングは神と言い、この世界は普遍的な存在である神が、個別的な存在者として顕現したものだと主張したのである。

こんなわけであるから、前半期のシェリングの著作には、哲学的には、荒唐無稽さを感じさせるものが多い。シェリングはカントが認識することができないとした物自体を、認識どころか直感することもできると主張し、その直感を通して、人間は神を直接的に把握できるのだとも言った。そして神が、普遍的な立場から個別者へと下降し、その過程で世界が生み出されてくる過程を、まざまざと見ることができるとも主張した。生み出されてくる個別者にあっては、精神と物質とは同一物の異なった現れとして理解されるのだ。精神と物質とは、意識という場において、主観と客観の関係にあるが、主観と言い、客観と言っても、どちらも意識を構成しているという点では、同等の存在なのである、そして、そうした個別的な意識とは、神の絶対的自我の普遍的な意識が個別者として顕現したあり方なのだ、というわけである。

晩年のシェリングは、存在の概念にこだわった。すでに前半期においても、カントの云う現象界を超えた物自体の世界の存在を肯定していたシェリングだが、晩年になると、この存在と言う概念に踏みこんだ思索を展開するようになった。

そこでシェリングは、存在と言うものには二種類、「本質存在(Essentia)」と「事実存在=実存(Existentia)」とがあると考えた。本質存在とは、理性によって認識の対象となりうるような存在のあり方であり、カントからヘーゲルに至るこれまでの哲学がもっぱら対象としてきたものだ。これに対して事実存在とは、理性によっては、なぜそんなものが存在するのか、説明がつかないようなものをも含めた存在のあり方を指す。ヘーゲルを含めたこれまでの哲学は、こうした事実存在については、人間の理性の手に負えないものとして、無視してきたのであるが、実はこの事実存在=実存こそが、存在の本来のあり方なのだ、と主張したのであった。

この事実存在についての哲学を、シェリングは「積極哲学」と名づけ、それに対してヘーゲル以前の哲学を「消極哲学」と呼んで批判した。木田元によれば、積極哲学の Positiv という言葉には、消極の対概念としての意味合いのほかに、実証的、事実上のというニュアンスがあり、それから、「事実存在」即「事実」についての哲学だという意味合いを持たせたのだという。

シェリングが事実存在=実存の概念にたどりついたのは、彼の生涯の動きからすれば、必然的なことだったともいえる。シェリングはフィヒテを通じてカントを学んだのだったが、そのカントは、人間の認識能力の限界を示して、物自体を認識不可能なのものとし、現象界と叡智界とを厳然と区別したのであったが、シェリングの問題意識は、こうした区別や対立を解消して、世界を統一的な視点から説明したいということだった。事実存在の概念は、そのような説明原理として、シェリングが最後にたどりついたアイディアだったのである。

最晩年に至ったシェリングは、ヘーゲルがかつて君臨していたベルリン大学に招かれた。そこで行った就任演説には、エンゲルス、バクーニン、ブルクハルト、キルケゴールなどの錚々たるメンバーが出席していたという。みなシェリングの名声を聞きつけて、わざわざ遠くの国や地方から集まってきたのであった。シェリングの思想がいかに時代の先端を行くと考えられていたか、わかろうというものである。

だが、彼らのうちには、シェリングの影響を直接に受けたものは見当たらない。ただ一人キルケゴールだけは、シェリングの「実存」という言葉に感銘を受けて、それを自分の思想のうちに取り入れていくことになる。

それでも、シェリングを実存主義の先駆者と断定するのは、すこし行き過ぎかもしれない。




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