知の快楽 哲学の森に遊ぶ
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アベラールとスコラ哲学の生成:普遍論争


長い期間にわたるヨーロッパ中世を思想史的な面から特徴付けるとすれば、キリスト教、それもカトリックの教義が支配した時代だったということができる。カトリックの正統教義の前では、それと相容れない考え方は、民衆文化も含めて、すべて異端のレッテルを貼られて迫害された。このカトリック教義を学問的に纏め上げたのが、スコラ哲学といわれるものである。

スコラ哲学はトマス・アクィナスによって壮大な体系に築き上げられるのであるが、それが学問的に形成されるようになるのは、12世紀の始め頃である。「アベラールとエロイーズ」の物語で知られるあのアベラールは、スコラ哲学の生成者としても知られる。

ピエール・アベラール (1079-1142) は、ナントで生まれ、パリで最初のスコラ学者ともいわれるロスケリヌスや実念論者であったギヨーム・ド・シャンポーーに師事した。非常に有能であったようで、1113年にはパリで教師となり、異常な人気を博したという。彼がエロイーズと出会ったのは、その頃のこととされる。

彼はノートルダム教会参事会員フュルベールの姪エロイーズの家庭教師を務めることになったのだが、20歳も年下の美しいエロイーズを見て、すっかり恋のとりこになってしまった。彼女も深くアベラールを愛し、男の子まで産んだ。このことに激怒した父親のフュルベールは、アベラールを去勢し、世間から引退させてしまった。そしてアベラールをサン・ドニの修道院に、エロイーズをアルジャントゥィユの修道尼院に閉じ込めてしまったのである。

二人の悲恋は、その後も往復書簡という形で続けられた。人間的な優しさにあふれた愛が綴られており、今日でも恋愛文学の傑作として名高いものである。しかしアベラールはともかく、エロイーズの文章もきわめて格調が高いので、これはアベラール一人による創作ではないかとの憶測もなされている。

引退後もアベラールの名声を求めて多くの若者が集まり、彼は時代の寵児であり続けた。だが1121年になって、三位一体に関して異端の説を述べたという理由で断罪された。アベラールは1141年にも、再度断罪されている。これらはいづれも、表面上は教義をめぐるものであったが、真相は、激しい攻撃的な論調で多くの敵を作っていたアベラールが、彼らによって罠に架けられたのではないかとも言われている。彼は信奉者も多かったが、常にそれに数倍する敵をもっていたのである。

アベラールが打ち立てたスコラ哲学について、バートランド・ラッセルは次の四つの特徴をあげている。

第一にカトリックの正統教義の範囲に収まっていること。何人も正統教義を逸脱した説については、宗教会議による断罪を免れないとした。第二には、正当教義の枠内にある限りにおいて、アリストテレスを至高の権威として受け入れていること。第三に、論理学とりわけ三段論法的演繹推理を偏重していること。第四に、普遍の問題について著しい関心を示していること。

この中でも普遍に関する問題は、スコラ学者にとっての最大の関心事であった。彼は中世を通じて戦わされた普遍論争にとって、きっかけを作った人だったのである。これ以後、実念論と唯名論との間で、あの不毛ともいえる普遍論争が延々と繰り返されたのである。

アベラール自身は、普遍の問題については、唯名論の立場に立っていた。アベラールはいう、「我々が普遍というものについて言及するとき、それは存在そのものではなく、ある存在者の属性が持つ意味について述べているのである。」

さまざまな事物は相互に似ていることがあるが、その類似点そのものがまたある一つの存在なのだと考えることは実念論の誤りである、それは類似性に対して人間が付した「意味」というレッテルなのだと。だから普遍は個別を離れては存在しない。それは個別を通じて普遍を理解しようとする、人間の認識作用の中にある、そうアベラールは主張するのである。

アベラールの主著は1122年に書かれた「然りと否」である。この中で彼は、さまざまな説に対して、それを支持する根拠と反論する根拠をあげて、双方に論争させるという体裁をとっている。しかし彼自身は、どちらか一方に加担しようとはしていない。そのことから読む者はいらいらさせられるのであるが、彼はそれでよいと思っているのであろう。

というのも、アベラールがもっとも重んじたものは、事物に関する結論的な見地というより、それについて議論する論理的な過程のほうだったからである。

彼はこの論理的な推論の過程をくまなく考察することを通じて、やがて人間の推論の様式としての形式論理のあり方を深く研究するようにもなった。スコラ哲学を特徴付けるあの膨大な論理学の体系的な営みは、このようなアベラールの姿勢に始まっているのである。





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