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純粋経験から自覚へ:西田幾多郎を読む


西田幾多郎の思想は、「善の研究」で提起した「純粋経験」を基礎として、それを進化発展させる方向に進んでいった。その方向性というのは、「純粋経験」から「自覚」へ、そして「自覚」から「場所」へと進化・発展していくというものである。進化であるから、単純な変化ではない、もとの思想(純粋経験)を土台としてそれをいっそう深くかつ広く推し進めようとする意向が働いている。

進化・発展の最初の契機である「純粋経験」から「自覚」への動きについて、まず見ておこう。先稿で指摘したとおり、西田の「純粋経験」の概念には曖昧なところがあった。西田は当初それを、反省の加わっていない、したがって主客未分の、生の事実としての意識現象だとした。ところが、そのすぐ後で、反省を前提とする思惟についても「純粋経験」の一種だと付け加えた。しかのみならず、知的直感のような、高度に知的な認識の作用もまた「純粋経験」なのだと言うようになった。つまり西田は、人間の意識の作用全般を「純粋経験」だというわけである。これでは、人間の意識作用のなかのそれぞれのモメントの差異が軽視され、意識一般としてごちゃ混ぜになってしまう。そこで、この混乱を解きほごす糸口として、西田は「自覚」というものを持ち出したわけなのであろう。

「自覚」という言葉で西田は、人間の意識の統一的なあり方全般をイメージしようとした。そしてその意識を構成する二つのモメントとして「直感」と「反省」を持ち出した。「直感」は「善の研究」のなかで最初に提起された「純粋経験」、つまり狭義の「純粋経験」に相当すると考えてよい。「反省」のほうは「思惟」に相当するものである。このように意識の構成要素を「直感」と「反省」に明確に区別した上で、それを「自覚」の二つのモメントとして整理することで、互いの関係がすっきりする。少なくとも「善の研究」において見られた概念相互の曖昧な関係は解消されるわけである。

「自覚」を前面に押し出すことで、「純粋経験」に付きまとっていた曖昧さが解消されただけではない。それによってものの見方も変わったといえる。「善の研究」においては、純粋経験を出発点にして、そこから高度な認識がどのように形成されていくかが、いわば上向的に展開されていた。これは、純粋経験がどの段階でも貫徹しているということにつながる。だから思惟の段階も「純粋経験」だと言われたわけだし、高度な認識作用である「知的直感」も「純粋経験」だということになったわけである。

だが、「自覚」の概念を前面に押し出してからは、「知覚」と「反省」とを「自覚」のモメントとしてみるようになる。つまり「自覚」がまずあって、そこから「知覚」と「反省」が言及されるわけだから、これは下降的な見方ということができる。こういうわけで、ものの見方が逆転するのである。こんな事情もあって、これ以降「純粋経験」という言葉はあまり用いられなくなる。用いられるとすればそれは、「知覚」とほぼ同じ意味においてである。

以上は、「自覚」という概念が登場した問題史的な背景である。だがこれだけでは「自覚」の内実が十分に説明されたことにはならない。そのためには、「自覚」という概念にもっと立ち入らなければならない。

まず西田自身の言葉を聞いてみよう。西田は「自覚における直感と反省」序文のなかで、自覚について次のように言っている。「余の自覚というのは心理学者のいわゆる自覚という如きものではない。先験的自我の自覚である。フィヒテの所謂事行 Tathandlung の如きものである」

この文章は、前段で「自覚」が単なる心理的な現象ではなく、それ以上のものだと言い、後段ではそれをフィヒテの「事行」のようなものだと言っている。西田がこう言うわけは、人間の精神現象は単に観念的なものにとどまらず、この世界全体の存在の根拠なのだとする見方があるわけだが、それはさておいて、フィヒテの事行がどのようなものか、見ておくことにしよう。フィヒテはこの概念を晩年の著書「全知識学の基礎」の中で次のように説明している。

「我は自己自身を定立(setzen)する、そしてこのように自己自身で自己を定立するだけで我は存在する。また逆に、我は存在する。そしてただ我が存在するというだけで、我は自己の存在を定立する、即ち我は働くもの(das Handelnde)であると同時に、働きの所産(das Produkt der Hndlung)である。能動的なもの(das Tatige)であると同時に能動性によって産み出されるものである。働き(Handlung)とそこから産まれた事(Tat)とは一にして正に全く同じものである。したがって、『我は存在す』は事行(Tathandlung)ということを言い表しているのである」(木村素衛訳)

独特の哲学用語で書かれているので非常にわかりづらいが、要するに、私の存在する根拠は私自身にあるということを言っているわけである。私は、他の誰でもない、私自身によって生み出されたのであるし、また、私は私自身を生み出すだけでなく、私が生きているこの世界をも産み出している。ということは、私の父母は私自身なのであり、その私自身の父母である私が同時に世界全体を生んだ父母なのである、ということを言っているのである。

これをもう少し哲学的に言い換えると「事行」という言葉になるわけである。これは、私を能動的な働きの主体とした上で、その主体が産み出したものとそれ自身とは全く同じ者だというわけなのである。つまり、私と世界とは一にして同じ者というわけである。

フィヒテのこの言明はバークレーのあの独我論を想起させる。フィヒテとバークレーの違うところは、バークレーが自分の意識以外のものは何も確固たる存在を主張できないといっているだけなのに対し、フィヒテの場合には、我以外の存在を認めた上で、それが我によって生み出されたと主張する点である。バークレーはこの世で信じることができるのは自分だけだと、非常に消極的な物言いにとどまっているのに対して、フィヒテは、(私を含めて)世界はこの私が産んだのだと、胸を張って積極的に物を申しているわけである。

このフィヒテの言明のどこに西田は惹かれたのだろうか。それを理解するためには、もう一度純粋経験に戻らなければならない。純粋経験とは西田にとって、そこからすべてのものが生じてくる究極的な根拠となるものだった。私があって純粋経験があるのではなかった。純粋経験があって私があるのであった。同じように私の認識の対象となる客観的な世界と言われる者も、純粋経験から生じてくるのだった。なぜなら純粋経験とは、単なる現象ではなく実在、それも世界全体の根拠となる究極的な実在なのであるから。

この究極的な根拠としての純粋経験が、フィヒテの「我」と非常に似た立場にあることは、容易に見て取れよう。西田はフィヒテの我に、純粋経験の面影を見たに違いないのだ。

しかし、その西田にとって、フィヒテの言明には全面的に首肯できないところがあった。フィヒテは、我こそが世界を生んだ世界の父母だというような言い方をしているが、それでは一種の独我論に陥るのではないか。しかし西田は独我論にくみするわけにはいかない。西田が「自覚」の概念を説明して、「余の自覚というのは心理学者のいわゆる自覚という如きものではない。先験的自我の自覚である」というとき、その先験的自我というのは、心理学的な自我、つまり我々が普通に思い浮かべる個人としての自我ではなく、普遍的な自我のことを言っている。先験的という言葉は、人間なら誰もが生まれながらに備え持っている、というニュアンスの言葉だから、こう言うことで西田は、人間なら誰しもが備えているような能力によって、自分も含めたこの世界の実在を捉えることができるのだと言っているわけだろう。

しかしそうはいっても、「自覚」という言葉に、心理学的な個人の自我というニュアンスが付きまとっていることは、否定できないことだ。そこで西田は、「自覚」をもっと普遍的な観点から説明しようと工夫する過程で、「自覚」から「場所」という概念に移行していったと言えるのではないか。




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