知の快楽 哲学の森に遊ぶ
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西田幾多郎を読む


西田幾多郎は、新カント派の経験一元論的な立場やベルグソンらの直感主義の立場から、自分の純粋経験のアイデアを思いついたのだと思う。それだけなら西田は、あまりユニークな思想家にはならなかっただろう。単に新カント派やベルグソンらの直感主義の亜流くらいの位置づけで終わったことだろう。だが西田幾多郎はそこにとどまらなかった。それは西田が、先ほども触れたように、純粋経験を実在と考え、そこから(西田なりに)壮大な存在論を展開したということから来る。ここではそんな西田幾多郎の思想について、考えてみたい。



西田幾多郎をどう読むか
西田幾多郎の純粋経験:「善の研究」を読む
思惟も純粋経験である:西田幾多郎を読む
純粋経験から自覚へ:西田幾多郎を読む
自覚から場所へ:西田幾多郎を読む
場所の論理:西田幾多郎を読む
述語論理:中村雄二郎の西田幾多郎論
論理の理解と数理の理解:西田幾多郎の数学論
西田幾多郎のベルグソン論
西田幾多郎の叡知的世界
絶対無の自己限定:西田幾多郎を読む
西田幾多郎の隠喩的思考:連想ゲームとしての哲学
弁証法的一般者:西田幾多郎を読む
行為的直観:西田幾多郎を読む
絶対矛盾的自己同一:西田幾多郎晩年のキーワード
西田幾多郎と禅
西田幾多郎の神
逆対応と平常底:西田幾多郎晩年の宗教論

廣松渉の西田幾多郎批判
小林秀雄の西田幾多郎への言いがかり


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