知の快楽 哲学の森に遊ぶ
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小林秀雄の西田幾多郎への言いがかり


小林秀雄に西田幾多郎を批判した文章があることを、中村雄二郎から知らされて、早速それを読んでみた。「学者と官僚」と題した短い文章である(新潮社版全集第七巻所収)。中村は、小林の西田批判を積極的に評価して、「小林らしい鋭い批判」などと持ち上げているが、筆者がそれを読んだ限りでは、とてもそうは思えなかった。批判というものは、相手の論旨を自分なりに整理して、それをある特定の基準に照らして論じて行くものだが、小林のこの文章は、西田の主張の論旨については何も触れておらず、また、それを批判する際の基準もあいまいだ。これでは、批判などというものではなく、単なる言いがかりではないか、そんな風に感じた次第だ。

小林がこの文章を書いたのは昭和14年である。時あたかも日中戦争たけなわで、やがて日米戦争へ突進していこうという時代であった。そんな時代に小林は、学者と官僚という、一見関係のなさそうなものを並べて、その社会的効用について論じたわけである。小林に言わせれば、今の時代にあって官僚はよくやっている、それにくらべて学者たちはといえば、「揃いも揃って、寝言のようなことを言っている」。その理由は、官僚が世の中の動きを察知し、国民の意向に敏感なのに対して、学者の方は、世の中の動きとかけ離れ、また、自分たちを適切に批判してくれる者、「本当に健全な無遠慮な読者をもっていない」からだという。その点、三流作家の方が学者よりましだ。三流作家と雖も、読者の反響を絶えず気にかけているから、世の中から遊離した文学などを書く余裕はない、そんなものは誰も読んでくれないからだ。ところが、学者というものは、まともな読者がいなくとも成り立つ不思議な商売だ。まともな読者がいないから、彼らの言説はますます奇妙なものになっていく、というわけである。

小林にとって西田幾多郎は、この奇妙な言説をなす学者の最悪の見本として映ったようだ。その原因は、西田が健全な読者を持っていないことにある、と小林は言う。その結果西田は孤独に陥った。「氏の孤独は極めて病的な孤独である」と言うわけである。

「西田氏は、ただ自分の誠実というものだけに頼って自問自答せざるを得なかった。自問自答ばかりしている誠実というものが、どのくらい惑わしに満ちたものかは、神様だけが知っている。この他人というものの抵抗を全く感じ得ない西田氏の孤独が、氏の奇怪なシステム、日本語では書かれておらず、勿論外国語でも書かれていないという奇怪なシステムを作り上げてしまった。氏に才能が不足していた為でもなければ、創意が不足していたわけでもない」。小林はこう言うことで、西田に不足していたのは健全な読者だったと言いたいわけであろう。

小林が西田について言っていることは、ほぼこれに尽きる。ここで小林が言っていることは、西田の言説が奇怪なシステムであること、それが日本語でも外国語でもないわけのわからない言語で書かれている、ということだ。

小林のこの指摘については、筆者もなんとなくわからないでもない。筆者もまた、西田のシステムには訳の分からないところがあり、また、それを表現した文章にはもっと訳の分からないところがある、と薄々感じているからだ。しかし、それを第三者に向かって明言するためには、西田のシステムのどこが奇怪であり、また彼の書いた文章のどこが日本語と言えないのか、それを丁寧に説明することが礼儀であろう。筆者は、このことを肝に銘じて、西田を批判しようとする際には、批判すべき対象の論旨を明確にしたうえで、どういう基準からしてそれを批判しているのか、それを明らかにしようと努めているところだ。

ところが、小林の言い方には、そのような配慮は一切ない。ただ西田のシステムは奇怪であり、その文章は地球上に存在するどの言語にも似ていない、と頭から決めつけているだけだ。これでは批判ではなく、言いがかりというものだ、という所以である。

筆者は、西田哲学には評価すべきものと評価できないものとがあると考えている。そして、評価できないものについては、どのような理由で評価できないのか、それを論理的に説明することが肝要だと考えている。そうしてこそ、学問というものは進歩していくものなのだ。小林のように頭から相手を罵倒し去るのでは、議論もへったくれもあったものではない。

ところで、その小林本人の姿勢であるが、この文章からは、時代の流れに身を任せるのが正しい姿勢だとする小林の本音のようなものが伝わってくる。小林が、雑誌「思想」に寄稿した学者たちを手玉にとって、彼らを一堂に罵倒するところなどは、彼らが時流から超然としていることに対しての、小林なりの苛立ちの表現なのだろう。流れに掉さす、これが君子のなすべきことであって、流れに逆らうのは愚者のすることなのだ、というのが小林の本音なのだと思える。

その小林が、日米開戦直後に催された「近代の超克」と銘打った座談会に加わったことは有名な事実だ。この座談会には、当時「一流」とされた人士が参加し、対米戦勝利にのぼせ上ったような空疎なおしゃべりを展開したわけだが、この座談会で声高にしゃべったのはむしろ西田の弟子たちであり、小林はあまり口を利かなかったようである。とは言っても、それを批判したわけでもない。一方、西田本人の方は、こうした空騒ぎに対しては終始批判的であった。だからこそ、極右に攻撃されるような目にもあったわけである。




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