知の快楽 哲学の森に遊ぶ
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パスカルにおける神と人間


ブレーズ・パスカル Blaise Pascal (1623-1662) の宗教意識にはジャンセニスムの影響が見られる。ジャンセニスムとはオランダの神学者コルネリウス・ヤンセン (1585-1638) の思想であり、その遺作が1640年に発表されるや、フランスの貴族階級を中心に根強い信奉者を獲得した。パスカルは1646年に偶然ジャンセニスムの信徒と知り合いになり、その思想に帰依するようになったのだが、本格的なジャンセニストになるのは、1654年31歳の時である。彼はこの年、恩寵の火を見て決定的な回心を行い、その時の感動をメモリアルという形で羊皮紙に書き入れ、生涯お守りとして身につけていた。

回心したパスカルは、アントアーヌ・アルノーが率いるジャンセニスムの拠点ポール・ロワイヤル修道院に迎え入れられ、そこでジャンセニスムの探求と信仰とを深めていった。

ジャンセニスムの思想にはわかりづらいところがあり、イエズス会の攻撃に対してパスカルが擁護した際の論点と必ずしも一致しない部分もある。

その教義の骨格は、神の恩寵の絶対性と人間の非力を説くことにあったようである。この点において、人間の自由意志による救済を否定し、神による予定説を展開したカルヴィニズムと共通するものがある。実際ヤンセン自身はアウグスティヌスの説を根底に据えながら、カルヴァンからも影響を受けたらしい。

このジャンセニスムに対して、ジェズイットが猛烈な攻撃を仕掛けてきた。これに対してパスカルは、「プロヴァンシャル」(田舎人への手紙)と題する一連の書簡体の論文を発表し、ジェズイットの攻撃からジャンセニスムの教義を擁護したのだった。

パスカルはこの「プロヴァンシャル」を匿名で出したが、たちまち大きな反響を巻き起こした。最初の書簡ではもっぱら守勢にたっていたが、発表を重ねるにつれて、ジェズイットの堕落と馬鹿馬鹿しさを強烈に暴き出すようになり、そのことでジェズイット側の怒りをますます掻き立てた。だが世論はパスカルの方に好意的だった。それというのも、パスカルの文章は論理的で説得力があり、人びとを納得させるに十分な内容を備えていたからだ。

ジェズイットがあげつらったのは、ジャンセニスムにある人間の悲惨さの強調と自由意志の否定という面であった。彼等はそれをカルヴィニズムの変形だとして非難したのである。

これに対してパスカルは、ジャンセニスムにはカルヴィニズムと共通するものは何もないと反駁した。ジャンセニスムにおいては神の恩寵と人間の自由意志とは矛盾しない。人間は神の恩寵を自らの意思にもとづいて受け入れることにより、正しい信仰に至る。

このように考える点では、ジャンセニスムはアウグスティヌスの思想の正統な後継者なのだ。これに対してジェズイットが人間の自由意志に必要以上にこだわるのは、まさにあのペラギウスの徒と異なるところはない。パスカルはこう批判することで、ジェズイットを切り切り舞いさせた。

パスカルはさらに進んでいう。「我々の行為は、それを生み出す自由意志の故に我々自身のものであり、しかも我々の意思をしてそれを生み出させる恩寵の故に神のものである。」(松浪信三郎訳)つまり真理は、人間の意志の上に働く恩寵と、人間の自由意志との一致の上に成り立つ。カルヴィニズムはこの二つの相反する原理のうち自由意志を否定し、ペラギウス主義は神の恩寵を否定することで、それぞれ一面的な誤りに陥ったのだ。

このようなパスカルの主張を、当のジャンセニストたちはどう受け取っていたのだろうか。ヤンセンその人の説に忠実に従えば、パスカルのこの主張は逸脱したものだったはずだ。ヤンセンはパスカルがいうようには、人間の意思の自由を認めなかったのだから。にもかかわらず、ジャンセニストたちはパスカルを自分たちの錦の御旗に掲げ続けた。そこにはジェズイットとの命がけの戦いを前にして、勝負に勝つことが何よりも優先されていたという事情が働いていたのかもしれない。

パスカルの主張は、さらにエスカレートする。この世界には聖アウグスティヌスと聖トマス・アクィナスがいうとおり、感覚、理性、信仰の三つの領域がある。これらはそれぞれ自らの原理に従って動いている。

問題が自然を超えた啓示に関するものであるならば、我々は聖書のいうことに従うべきである。問題が論理的な領域に関するものであれば、我々は理性の判断に従うべきである。問題が事実の認知に関するものであれば、我々は自らの感覚が実証するところに従うべきである。

だから聖書と教会の権威といえども、それは信仰の領域にとどまるべきなのであり、理性や感覚の領域まで支配しようとすべきではない。教会はガリレオの説が聖書の教えに反するといってそれを弾圧したが、もし確かな観察によって地球の自転が確認されたならば、教会といえども、自分たちが地球と一緒に回転しているという事実を止めさせるわけにはいかない。

この主張は二重の問題提起を含んでいる。一方では、パスカルは神の恩寵の効果を信仰の領域に押し込めることによって、恩寵の全能性を否定しているようにも受け取られる。これはある意味で、神への挑戦といえる。しかし他方で、パスカルは信仰における義を、理性や感覚から遮断することによって、純化しようとしたのではなかったか。

パスカルはデカルトのように神や信仰の問題を理性によって説明しようとする態度には嫌悪感のようなものを感じていた。人間の信仰は理屈によって説明できるものではない。人間が神の恩寵を感得するのは理性によってではなく、飛躍によってなのだ。こうしたパスカルの信念が、一見信仰の力の制約とも見える、以上のような主張を吐かしめたのではないか。

パスカルは自分の人格の中に、近代的な科学精神の体現者としての側面と、自然を超えた信仰に生きる人間としての側面を併せ持っていた。そしてその容易には両立しがたい二つの面を、どうにかして矛盾なく共存せしめたいと願っていた。その願いがパスカルをして、理性と信仰とを遮断する方向へと向かわせた、どうもこういえるような気がするのである。





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作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2007-2008
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