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鈴木大拙論 |
鈴木大拙と西田幾多郎が少年時代からの友人であったことはよく知られている。彼らは友人であったばかりか、思想的にも互いに影響しあったようである。西田が禅に親しむようになったのには大拙の影響が働いているようだし、また、西田の思想の少なからぬ部分に大拙の影を感じることができる。例えば「一即多、多即一」などは、西田が大拙から学んだ考え方だったようだし、「日本的霊性」の中で展開される「即非の論理」は、西田に大きな影響を与えた。 鈴木大拙の思想は、禅に根差したものであり、その禅というものが言葉を軽視するものであることから、彼は自分の思想を言葉で表現するのに苦労したかといえば、必ずしもそうとはいえない。そのことは、彼の思想が言葉を通じて西田幾多郎に影響を与えたことからもわかる。鈴木大拙という人間には、どうも禅の体験を言葉で表現する稀有な才能があったようである。ここでは、そんな鈴木大拙の思想のエッセンスに迫りたいと思う。 |
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作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2015 このサイトは、作者のブログ「壺齋閑話」の一部を編集したものである |