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即非の論理:鈴木大拙の思想


鈴木大拙と西田幾多郎は、それこそ青春時代からの付き合いがあり、また禅という共通のテーマを巡ってやり取りをしていたから、単に友人としてではなく、思想上の同志としても互いに深く影響しあった。どちらが、どんな面で影響を与え、又受けたか、それ自体哲学史上の興味あるエピソードだが、ここでは鈴木大拙が西田に与えた影響のうちで最も重要なものと思われる「即非の論理」について取り上げてみたい。

「即非の論理」は、「日本的霊性」とともに、大拙の思想の根幹をなすものとされている。これは大拙が、禅の研究から導き出した考え方で、大拙独自の命名による言葉のようだが、考え方そのものは、禅の考え方を意識的に取り上げたものである。禅というものは、よく言われるように、理屈を嫌うところがあり、従って「論理」を軽視するところがある。それにもかかわらず、大拙が「論理」という言葉を持ち出すところが面白いのだが、それは、人が他の人に向って何かを語ろうとするときには、必ず「論理」を通じてでなければならない、ということに自覚的だったからだと思われる。

ともあれ、大拙のこの「即非の論理」というのは、通常の論理とは異なっていることだけは確かである。どこがどう違うのか、大拙はそれを、通常の論理は分別知の論理であるのに対して、即非の論理は分別以前の論理、あるいは無分別の論理だとした。分別の論理が、対象を文字通り分節化するのに対して、この即非の論理は分節化以前の直接的な経験を大事にする。大拙はそれを、主客未分の状態だと形容した。この考え方は、西田の直接経験に通じるところがある。

ところで、この即非の論理について、大拙が組織的に展開して見せたのは、かなり後になってからである。大拙はそれを、「金剛経の禅」という、半ば啓蒙的な著作の中で展開している。ここでは、それを材料にしながら、大拙の言う「即非の論理」が如何なるものであるか、について見てみたい。

大拙はまづ、金剛般若経の中から次のような言葉を取り出している。「仏説般若波羅蜜、即非般若波羅蜜、是名般若波羅蜜」、 そして、これを延書きにすると、「仏の説き給う般若波羅蜜というのは、すなわち般若波羅蜜ではない、それで般若波羅蜜と名づけるのである」と解説している。ここで般若波羅蜜というのは、究極的な真理というほどの意味であるが、それはいったん措いて、ここで問題となっているのは、その論理構造である。

上の文を、形式的に言い換えると
  AはAだというのは、
  AはAでない、
  ゆえに、AはAである。
となる。つまり、一旦Aを否定しておいて、そのうえで改めてAを肯定する、というような論理構造になっている。これは、通常の分別知の論理から見れば、非合理そのものでしかない。しかし、その非合理が禅の立場から見れば非合理ではなくなる。むしろ、こう捉えることで、物事の本質がわかってくる、そう考えるというのである。

こう言われても、分別知に囚われた我々凡俗には、なかなか素直には受け取れないところだろう。だが、大拙は、我々がそう受け取れないのは、我々が、あまりにも分別に囚われているからだと、いわば居直る態度を見せるのである。

分別知は、普通の形式論理の法則に従ってものごとを考えたり、判断したりしている。その法則に従えば、AはAであってかつ非Aであることはできない。だから、上で述べられた即非の論理は、形式論理に反した見方である。即非の論理では、Aは非AであってかつAであるというよりも、非AであるからこそAであるというようになっている。非Aと言う形で一旦否定されたうえでなければ、Aと言う形で肯定されることがないと言っているわけである。

これは一見、弁証法の論理と似ているように見える。弁証法も、措定、反措定、総合という形で、対象が一旦否定された上で肯定され、そのうえで総合的な真理が現れて来るというような論理構造をとっている。しかし、弁証法と即非の論理には決定的な相違がある。それは、弁証法の真理が、否定と肯定の繰り返しの結果事後的に現れてくるという構成を取っているのに対して、即非の論理は、そもそもの初めから、否定と肯定とが併存したものとして、対象を構成するということである。大拙流にいえば、弁証法は分別知の働きの結果であるのに対して、即非の論理は分別知の手前にある。分別が働いた結果弁証法の真理が現れるのに対して、分別が働く以前の主客未分の状態、そこに即非の論理によって捉えられた真理がある、ということになる。

分別知より手前といい、主客未分の状態といい、この即非の論理の考え方が、西田の純粋経験の考え方と似ていることが、見てとれるだろう。西田の純粋経験も、主客未分の混沌とした状態であり、そこに分別が加わることで、分節化された知が出てくるというような構造になっている。西田と大拙の相違は、西田が主客未分の直接経験から出発しながら、それを分別知で料理して行こうという姿勢を取っていたのに対して、大拙の方は、分別知にこだわらなかった点である。そこは、哲学者と宗教家との相違だともいえる。哲学者は、他の人間に向かって、自分の真理を伝えなければならないという動機があるかぎり、分別知を媒介させずには済ませられない。それに対して、宗教家には、かならずしもそのような動機はない。宗教家(少なくとも禅の実践者)がこだわるのは自分自身であって、他人との関係は二次的なものに留まる。彼には、自分の体験をそのまま他人に伝えなければならないという、必然的な動機は無いのだと考えてよい。

ところで大拙は、この即非の論理は、知性ではなく霊性の分野で働くものだという言い方もしている。知性が論理によって働くということは言うまでもない。ところが即非の論理は、論理と言う言葉を内包しているにかかわらず、知性によっては捉えられない。それを捉えるには、人間に備わった別の能力を働かせなければならない。それが霊性だと、大拙は言うのである。




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