知の快楽 哲学の森に遊ぶ
HOMEブログ本館東京を描く英文学ブレイク詩集仏文学万葉集プロフィール掲示板


日本の思想:ユニークな思想家たち


日本の思想について丸山真男は、基本的には外国の思想の受け売りであって、外国から輸入した思想に多少色を添えて、それで以てお茶を濁してきたというようなことを言った。これは古代から一貫した日本人の態度であって、近代になっても何ら変わらなかったと丸山は言う。近代になると、思想の輸入のサイクルが短くなって、めまぐるしいほど多くの思想が最新モードだと言って輸入された。面白いことに、新しい思想が輸入されると、それをありがたがるあまり、古い思想はお役御免になる傾向が強かった。そこから思想の価値は、新しいほど増すと考えられるようになった。

たしかに、日本の思想について、こういうことが指摘できるかもしれない。その最もよくない影響は、日本人が自分の頭でものを考えなくなるということだ。そこから、ヨーロッパでは思想界といわれるようなものが、日本では思想業界と、自嘲的に言われるようにもなる。これは実に嘆かわしいことといえよう。

だが、日本の思想にも、ユニークなものはあって、そういった思想は、そう捨てたものではない。例えば、本居宣長の国粋主義的思想などは、これは外国の思想の影響がほとんど見られないもので、そういう点では、日本人でなければ発想できないような代物だ。また、安藤昌益のアナーキーな思想などは、一応中国の学問を下敷きにはしているが、これも日本人ならでは発想できないユニークなものだ。

近代以降についても、外国人が発想しないような、ユニークな視点から、日本的な思想を展開したものはいる。ここでは、そうしたユニークな思想家を取り上げて、日本の思想の今日的な意義について考えて見たいと思う。


丸山真男論

忠誠と反逆:丸山真男の抵抗論

幕末における視座の変革:丸山真男の佐久間象山論

丸山真男の開国論

華夷思想と国家理性:丸山真男「近代日本思想史における国家理性の問題」

日本思想史における問答体の系譜:丸山真男の「三酔人経綸問答」論

つぎつぎとなりゆくいきほひ:丸山真男「歴史意識の古層」

丸山真男の日本ファシズム論

後衛の位置から:丸山真男の同時代批判

サイデンステッカーの丸山真男批判

丸山真男「日本の思想」を読む

国学的思考と実感信仰:丸山真男「日本の思想」

タコツボ社会としての日本:丸山真男「日本の思想」

丸山真男の日本ナショナリズム論

丸山真男「日本政治思想史研究」

丸山真男の国学論

丸山真男の幕末政治思想論

古在由重と丸山真男の対話

荻生徂徠と福沢諭吉:丸山真男と加藤周一の対話


新井白石を読む

藩翰譜:新井白石を読む

東雅:新井白石を読む

西洋紀聞:新井白石を読む

読史余論:新井白石の歴史観

加藤周一の新井白石論

桑原武夫の新井白石論


荻生徂徠の思想

政談2:荻生徂徠の経済・財政論

政談3:荻生徂徠の役儀論

政談4:荻生徂徠の身分制度論

太平策:荻生徂徠を読む

弁道:荻生徂徠の思想

弁名:荻生徂徠を読む

弁名その二:荻生徂徠を読む

学則:荻生徂徠の学問論

吉川幸次郎の荻生徂徠伝

新井白石と荻生徂徠


本居宣長論

本居宣長のもののあわれ論:「石上私淑言」

うたふ、よむ、ながむる:本居宣長「石上私淑言」

やまと考:本居宣長「石上私淑言」

本居宣長の源氏物語論「紫文要領」

本居宣長の平安時代礼賛

本居宣長「排蘆小船」

本居宣長「宇比山踏」

本居宣長「直毘霊」

呵刈葭(一):本居宣長と上田秋成の論争

日の神論争:呵刈葭(二)

徂徠と宣長:野口武彦「荻生徂徠」

丸谷才一の本居宣長論

石川淳の本居宣長論


福沢諭吉論

福翁自伝を読む

福沢諭吉の修業時代

福沢諭吉の欧米体験

福沢諭吉と明治維新

福沢諭吉の家族愛

福沢諭吉の思想

瘦我慢の説:福沢諭吉の処世哲学

丁丑公論:福沢諭吉、西郷隆盛を弁護す


幸徳秋水論

幸徳秋水「兆民先生」

幸徳秋水の遺書

幸徳秋水の帝国主義論

幸徳秋水の社会主義論

幸徳秋水の平民主義

幸徳秋水の非戦論

幸徳秋水の基督抹殺論


鈴木大拙論

禅と日本文化:鈴木大拙の啓蒙的著作

禅と武士:鈴木大拙「禅と日本文化」

禅と俳句:鈴木大拙「禅と日本文化」

禅と日本人の自然愛:鈴木大拙「続禅と日本文化」

鈴木大拙の日本的霊性論

即非の論理:鈴木大拙の思想


和辻哲郎論

人間の学としての倫理学:和辻哲郎の人間論

和辻哲郎の存在論

和辻哲郎の風土論

和辻哲郎の日本礼賛

和辻哲郎「日本精神史研究」

和辻哲郎の平安文学論

沙門道元:和辻哲郎の鎌倉仏教論

道得と葛藤:和辻哲郎の道元論

戸坂潤の和辻哲郎批判

熊野純彦「和辻哲郎」


廣松渉論

世界の共同主観的存在構造:廣松渉の認識論

現象的世界の四肢的存在構造:廣松渉の認識論

相克と協働:廣松渉のサルトル批判

廣松渉のマッハ論

廣松渉のフッサール批判

もの・こと・ことば:廣松渉の事的世界観

廣松渉の存在論

廣松渉の真理論

廣松渉の物象化論

廣松渉の弁証法

廣松渉の表情論

廣松渉のメルロ=ポンティ論

廣松渉のハイデガー論

廣松渉「<近代の超克>論」

廣松渉の高山岩男批判:「<近代の超克>論」から

廣松渉の日本右翼論:「<近代の超克>論」から

廣松渉「今こそマルクスを読み返す」


竹内好のアジア主義を読む

進歩と反動:竹内好

竹内好の「近代の超克」論

竹内好の戦争責任論

竹内好の東京裁判観

日本のアジア主義

竹内好の北一輝観

竹内好の魯迅論


吉本隆明を読む

芸術的抵抗と挫折:吉本隆明の戦争責任論

吉本隆明の転向論

吉本隆明の芥川龍之介論

共同幻想論:吉本隆明の社会理論

世界認識の方法:吉本隆明とフーコーの対話

吉本隆明の竹内好批判


江藤淳の戦後日本批判

江藤淳の戦後知識人批判

江藤淳の夏目漱石論

江藤淳の勝海舟論

閉ざされた言語空間:江藤淳の戦後占領軍検閲批判


柄谷行人の社会理論

哲学の起源:柄谷行人のギリシャ哲学論

柄谷行人のプラトン批判

柄谷行人「世界史の構造」

柄谷行人の国家観:「世界史の構造」から

柄谷行人のアソシエーショニズム論:「世界史の構造」から

柄谷行人のカント評価:「世界史の構造」から

マルクスによってマルクスを否定する:柄谷行人「マルクスその可能性の中心」

柄谷行人「トランスクリティーク」:カントによってマルクスを基礎づける

自然と自由:柄谷行人「トランスクリティーク」より

柄谷行人のマルクス読み直し:「トランス・クリティーク」より

代表制:柄谷行人「トランスクリティーク」

ヒューモアとしての唯物論:柄谷行人の超越論的議論

柄谷行人の転向論:「ヒューモアとしての唯物論」から

柄谷行人の伊藤仁斎論

世界史の実験:柄谷行人の柳田国男論


大杉栄の自叙伝

大杉栄の日本脱出記

大杉栄評論集を読む


内村鑑三「代表的日本人」

内村鑑三「余は如何にして基督信徒となりし乎」を読む

内村鑑三「基督信徒のなぐさめ」

新渡戸稲造「武士道」

中江兆民「一年有半」


日本の右翼思想

戸坂潤「日本イデオロギー論」

大衆とファシズム:戸坂潤「日本イデオロギー論」


源了円「徳川思想小史」

子安宣邦「江戸思想史講義」

中井履軒と懐徳堂

賀茂真淵と本居宣長:子安宣邦「江戸思想史講義」

ハーバート・ノーマン「忘れられた思想家安藤昌益のこと」

島田虔次「朱子学と陽明学」

小島毅「近代日本の陽明学」


伊藤整「近代日本人の発想の諸形式」

九鬼周造「いきの構造」


HOME








作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2007-2017
このサイトは、作者のブログ「壺齋閑話」の一部を編集したものである