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日本の思想:ユニークな思想家たち |
日本の思想について丸山真男は、基本的には外国の思想の受け売りであって、外国から輸入した思想に多少色を添えて、それで以てお茶を濁してきたというようなことを言った。これは古代から一貫した日本人の態度であって、近代になっても何ら変わらなかったと丸山は言う。近代になると、思想の輸入のサイクルが短くなって、めまぐるしいほど多くの思想が最新モードだと言って輸入された。面白いことに、新しい思想が輸入されると、それをありがたがるあまり、古い思想はお役御免になる傾向が強かった。そこから思想の価値は、新しいほど増すと考えられるようになった。 たしかに、日本の思想について、こういうことが指摘できるかもしれない。その最もよくない影響は、日本人が自分の頭でものを考えなくなるということだ。そこから、ヨーロッパでは思想界といわれるようなものが、日本では思想業界と、自嘲的に言われるようにもなる。これは実に嘆かわしいことといえよう。 だが、日本の思想にも、ユニークなものはあって、そういった思想は、そう捨てたものではない。例えば、本居宣長の国粋主義的思想などは、これは外国の思想の影響がほとんど見られないもので、そういう点では、日本人でなければ発想できないような代物だ。また、安藤昌益のアナーキーな思想などは、一応中国の学問を下敷きにはしているが、これも日本人ならでは発想できないユニークなものだ。 近代以降についても、外国人が発想しないような、ユニークな視点から、日本的な思想を展開したものはいる。ここでは、そうしたユニークな思想家を取り上げて、日本の思想の今日的な意義について考えて見たいと思う。 |
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