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荻生徂徠の思想:政談1(徂徠、国の締まりを論ず)


荻生徂徠が「政談」を書いたのは享保十一年頃のこと。享保元年から始まっていたいわゆる享保の改革がピークを記すときにあたる。徂徠は享保七年に将軍吉宗の身近に仕えるようになって以来、改革の行方に大きな関心を持ったに違いない。この「政談」には、そうした徂徠の関心というか、問題意識が強く盛られている。かれがこの書を将軍に献上したのは、享保十二年四月のことらしい。死の一年前のことである。そこには幕府の政策に活用してもらいたいという実践的な意図があったのだと思われる。この書は、「政談」という題名が語る通り、政治のあるべき姿を語った書なのである。

四巻からなっている。各巻は相互に厳密な区別があるわけではないが、強いて分類すれば、巻一は社会のあり方論のようなもの(徂徠は国の締まりといっている)、巻二は経済・財政について、巻三は役人の使い方をはじめ政治のあり方について、巻四は身分制度について、ということになろうか。以下、各巻ごとに、徂徠の主張の概要を見ていく。

巻一は、次のような文章で始まる。「総じて国の治と云ふは、譬へば碁盤の目を盛るが如し。目を盛らざる碁盤にては、何程の上手にても碁は打たれぬ也」。この碁盤の筋目にあたるものを徂徠は国の締まりという。享保の改革が始まったのは世の中が乱れたからだが、その乱れの原因は国の締まりがほどけたからにほかならない。したがって国を立て直すには、国の締まりをつけることが大事だが、それには、国の乱れた原因を正しく認識し、それに立ち向かう政策を立てねばならない。徂徠の理想は古の良き時代に帰ることだ。そのためには古の制度を復活させることが望ましいが、世の中のあり方が古とは大きく異なってしまった以上、古の制度をそのままに復活することは意味がない。今の時代をよく認識し、それにふさわしい政策を立てる必要がある、というのが荻生徂徠の基本的な考えだった。

では、今の時代をどのように認識すべきなのだろうか。荻生徂徠はそれを次のようにいう。「先第一、武家御城下に集り居るは旅宿也。諸大名の家来も、其城下に居るを江戸に対して在所とは雖も、是又己が知行に非ざれば旅宿也。其仔細は、衣食住を始め箸一本も買調ねばならぬ故旅宿也。故に武家を御城下に差置くときは、一年の知行米を売払て、夫にて物を買調へ、一年中に遣きる故、精を出して上へする奉公は皆御城下の町人の為に成也。依之御城下の町人盛になり、世界次第に縮り、物の値段次第に高値になって、武家の困窮、当時に至ては最早すべき様も無くなりたり」

昔の武士は知行地に張り付いていたものだが、いまでは都市に集まって暮らすようになった。そうなると、生活のために必要なものは、箸一本まで飼い整えねばならない。そこで町人ばかりがもうかるようになる一方、武士は物価の騰貴に苦しんでますます困窮を深める。この悪循環が諸悪の根源であって、ここからさまざまな政治的問題が生じる。そこで、その悪循環を断ち切って、世の中のあり方を変えない限りは、事態が根本的に解決される見込みはない。その解決策とは、武士を土地に土着させるようにし、なるべく自給自足の経済を復活させることにある。そうすることで、商品経済を制約し、人々の生活を質素なものにすれば、おのずから明るい未来が開けてくるというのが荻生徂徠の見方であった。つまり徂徠は、商品経済の浸潤が世の中を悪くしていると見ているのである。その点ではかれは、復古主義者だったといってよい。

荻生徂徠の政策の要諦は、人々を土地に繋縛することにあった。その政策の効果を左右するものが、戸籍の整備である。戸籍とは、人別帳とは異なって、単に人間を記録するばかりではなく、その行動を制約するものである。人は原則として戸籍に登録された土地にはりつき、無暗に移動することができなくする。そうして人を土地に定着させれば、商品経済も自ずから縮小し、さまざまな社会問題も解決する。そう言いたげなのである。要するに戸籍を通じて、人の移動を制約しようというのが徂徠の政策、つまり国の締め方の要諦をなしていた。

荻生徂徠は、武士を含めた人の移動こそが、諸悪の根源だと思っていたようである。武士の移動には参勤交代とか、所替えなどがあったが、その所替えが譜代大名に集中していることにも苦言を呈した。所替えは、人の移動を激しくさせるもので、武士の根なし草的傾向を助長する。それを徳川幕府にとって大事な譜代大名に強制することは、自らの地盤を掘り崩すようなものだと徂徠は思ったのだろう。

人の移動が激しくなったことは、色々な領域で見られるが、もっとも嘆かわしいのは、武家の家来が従来のような代々の譜代から、臨時雇いに代わったことだ。これは、譜代の家人を持つよりも臨時雇いのほうが安くあがるという打算に出たものだが、その結果、武士にとっての基本的な徳目である忠誠心というものがなくなってしまった。それでは、一族郎党が一体となって戦いに臨むことはできないわけで、武士としての存在意義を毀損しているようなものだ。

日本国中の総高二千万石として、武士の総数は三万余騎であるが、昔は三十三万騎といった。実に十分の一になってしまったのは、武家社会の崩壊を予告しているようで気味が悪い。これも、武士を土着させずに、都市にすまわせ、遊民化したことの結果だ。そう徂徠は思っていたようだ。

人の移動の烈しさは、百姓や町人の間でも無論見られる。百姓は都市に出てくると、町人の店などに年季奉公をするが、問題なのは、それらの年季奉公の者たちが、さまざまな犯罪をおかすことだ。徂徠があげているそうした犯罪の典型は、引負、取逃、欠落といったもので、徂徠はそうした犯罪には斬首などの厳しい罰で臨むべきだといっているが、それほど深刻な問題となっていたのであろう。こうした犯罪が増えるのも、その理由は人間の移動が自由になったせいだと徂徠はいい、人間の行動を組織的に管理することの必要性を主張している。

人の移動の進行は遊女や河原物の増加を生んだが、それらは賤民の一種であって団左衛門の支配を受けさすべきだと徂徠はいう。ところが、現実にはかれらはファッションの発信手として、町人や一部の武家の婦女子からアイドル視されているのは非常に許しがたいことだといって、徂徠は眉をしかめるのである。

同じく賤民でも、彼が鰥寡孤独というもの、つまり乞食に近い境遇のものについては、こういう者たちは社会の矛盾の犠牲者なのだといわんばかりに、慈悲の手を差し伸べるように提案している。享保の改革の目玉の一つに、貧民の救済というのがあったが、荻生徂徠の鰥寡孤独への視線には、そうした政策も影響しているのだろう。

賤民の取り締まりには、団左衛門のほか、善七とか松右衛門が言及されているが、かれらは世襲の職として、江戸在住の賤民たちの支配・取り締まりにあたっていたようで、幕末にも活躍していたことは、勝海舟が団左衛門を利用したことからも知れる。



政談2:荻生徂徠の経済・財政論
政談3:荻生徂徠の役儀論
政談4:荻生徂徠の身分制度論
太平策:荻生徂徠を読む
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弁名その二:荻生徂徠を読む
学則:荻生徂徠の学問論
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