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本居宣長を読む


本居宣長は、日本の生んだ最初の独創的な思想家と言える。この場合独創的というのは、純日本的と言うくらいの意味だ。丸山真男が指摘するとおり、日本人は古来、外国から輸入した思想で間に合わせる傾向があったが、本居宣長は外国思想の影響を殆ど感じさせない。そこが純日本的という所以である。宣長はその純日本的な思想を、賀茂真淵など国学の伝統を踏まえつつ、中国の学問やインド仏教など、外国思想との対決の中から発展させた。

本居宣長にとっては、外国人特に中国人の思想は人間の本性に反したもので、それを受け入れることは堕落以外の何ものでもない。日本人には日本古来のおおらかな思想の体系があるのであって、それをきちんと評価することこそが、日本人としてのあるべき姿だ、そう宣長は考えた。彼の国学はこうした考え方から展開されたものだ。

本居宣長によれば、日本人のものの考え方・感じ方の基底にあるのは、「もののあはれ」を尊ぶ心である。それは時に女々しさの様相を呈することもあるが、「もののあはれ」とは人間の自然の本性をいうものであるからして、多少女々しさがあるからといって、それを恥じることはない。中国人が女々しさを軽蔑するのは、彼らが朴念仁である証拠である。また、中国人は、人間をその本来ののびのびしたあり方かから離し、小うるさい道徳とか法律で束縛しようとする傾向が強いが、それは彼らが本性上悪人であるからにほかならない。本性上善人である日本人には、そんなものは必要ない、そう本居宣長は主張するのである。

本居宣長の思想は、幕末の尊王攘夷運動に大きな影響を与えたばかりか、近代日本における国粋主義の流れに脈々と働きかけた。その国粋主義は、理念的というよりは情動的な様相を呈した。その限りで、大衆的な運動にとってはわかりやすいと言えた。そのわかりやすさが、宣長のポピュラリティのひとつの背景になっている。宣長のそうしたわかりやすさをあらわすものとして、有名な敷島の歌がある。「敷島のやまと心を人とはば朝日に匂ふ山さくら花」というこの歌は、歌としては駄作だが、その意気込みには人を鼓舞するものがあり、戦前戦中の軍部は、家持の「海ゆかば」とともに、宣長のこの歌を大いに称揚した。最初の特攻隊の名称は、この歌をもとにして付けられたのである。曰く、敷島隊、やまと隊、朝日隊、さくら隊と。

宣長には情動的な傾向が強かったと言ったが、それは時には激情にまで高まることもあった。変人として知られた上田秋成と論争になったときには、秋成の意図的な挑発に対して正面から応じ、激越な反応を示したものだ。それを秋成は嘲笑して楽しんだようだが、宣長本人は大真面目だったのである。こんな具合に本居宣長には、いいにつけ悪いにつけ、彼独特の風情があった。ここでは、そんな本居宣長の思想の一端に触れてみたい。



本居宣長のもののあわれ論:「石上私淑言」
うたふ、よむ、ながむる:本居宣長「石上私淑言」
やまと考:本居宣長「石上私淑言」
本居宣長の源氏物語論「紫文要領」
本居宣長の平安時代礼賛
本居宣長「排蘆小船」
本居宣長「宇比山踏」
本居宣長「直毘霊」
呵刈葭(一):本居宣長と上田秋成の論争
日の神論争:呵刈葭(二)

徂徠と宣長:野口武彦「荻生徂徠」

丸谷才一の本居宣長論
石川淳の本居宣長論



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