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幸徳秋水を読む


幸徳秋水は、四国土佐の出身であり、郷土の先輩中江兆民に十代の頃から私淑していたこともあって、早いころから自由民権の活動家たるべく自己形成を行った。その彼が自由民権を突き抜けて社会主義思想やアナーキズムに傾いたのは時代の勢いだったのだろう。幸徳秋水が社会主義思想を公然と言明し始めるのは、日清日露の戦間期であったが、その頃には既に、日本の資本主義は帝国主義の様相を呈し始めていた。それゆえ秋水の社会主義は、この帝国主義と正面から立ち向かうこととなった。

そんな幸徳秋水の行為は、当時の為政者にとって見逃すことのできない仕業に映った。そんなわけで秋水は、大逆事件という冤罪をでっち上げられて、権力に抹殺された。主義のために命をかけた人間は、それまでの日本にもいなくはなかったが、社会主義のために命を失った日本人は、秋水が最初の人である。

その秋水の思想・業績のうち、歴史的な意義を失わないのは、帝国主義論、非戦論、キリスト教批判である。上にも触れたとおり、幸徳秋水の生きた時代は、資本主義が帝国主義の段階を迎えた時期であった。その帝国主義の本質を秋水は、彼なりの鋭利な視点、それは社会主義者としての視点であるが、その社会主義的な視点から分析して見せた。帝国主義論としては、世界でも最も早い時期のものであり、しかもその膨張主義的・好戦的な本質を鋭く捉えている点で、出色のものであったと言える。

幸徳秋水の非戦論は、日ロ戦争のさなかに、国民全体が戦争に酔いしれている雰囲気の中で、その雰囲気に水をさすような具合でなされた。この戦争は、庶民にとっては何のいいことももたらさず、一部の政治家や資本家を喜ばすだけだと言って、その積極的な意義を否定するとともに、道徳的な頽廃だとして戦争を糾弾した。秋水のユニークな点は、戦争反対を日本国民に訴えるだけではなく、敵であるはずのロシア人に向っても訴えた点である。

幸徳秋水のキリスト教批判は、キリスト抹殺論という過激な形をとった。秋水はこの主張を監獄の中で書いたのであったが、何故死を目前にして、最後のエネルギーをキリスト教批判に費やしたのか。秋水は、キリストは実在したわけではなく、でっち上げられた人物であり、十字架は男根の、マリア信仰は女陰崇拝のあらわれだと言ったのだったが、かりにそうだとしても、キリストを抹殺すべき理由にはならないだろう。第一大多数の日本人にとっては、キリストがどうなろうと、あまり関心はないのではないか。にも拘わらず秋水のキリスト抹殺論は、キリスト教批判として、一定の歴史的な意義を持つようにも思われるのである。

上に触れたように、秋水は無実の罪をでっち上げられて死刑宣告を受けた。しかしそのことについて秋水は、あまり落胆は見せていない。彼が監獄にあって、死刑を待っているその姿は、まったく従容としたもので、あのソクラテスを思わせるようである。秋水は一人の人間としても、並外れていたといえるだろう。ここではそんな幸徳秋水の人物・思想の一端について、触れてみたいと思う。



幸徳秋水「兆民先生」
幸徳秋水の遺書
幸徳秋水の帝国主義論
幸徳秋水の社会主義論
幸徳秋水の平民主義
幸徳秋水の非戦論
幸徳秋水の基督抹殺論


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