知の快楽 哲学の森に遊ぶ
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西田幾多郎をどう読むか


極めて難解な西田幾多郎をどう読んだらよいか。その手掛かりを考えてみた。なにしろ、日本が生んだ偉大な哲学者である。読まずに素通りするわけにはいかない。

筆者が西田幾多郎を始めて読んだのは三十台半ばのことであった。「善の研究」を手始めにして、岩波文庫に収められた論文を順に読んでいった。筆者は別に哲学者になろうなどと考えていたわけではなく、教養の足しくらいに思っていたので、とりあえず岩波文庫がカバーしている範囲のものを読めば、西田哲学と呼ばれるものの輪郭をつかむことができるだろうと、安易に考えていたわけなのであった。ところが西田の思想というのは、そう簡単に理解できるものではないということを早々に思い知らされた。「善の研究」はなんとか理解できたが、三巻からなる哲学論文集(「西田幾多郎哲学論文集」岩波文庫)の第一巻で躓いてしまったのだ。この中に収められている「場所」という論文は、西田哲学を理解するうえでの鍵となる重要なものといわれているのだが、これがなかなか歯が立たないほど難しい。何が書かれているのか、ほとんど理解できなかったのだ。こんなわけで、筆者の最初の西田への挑戦はあっけなく終わってしまったのであった。

還暦を過ぎて、もう一度西田哲学に挑戦する気持ちになった。そこで昔挫折した道を改めて辿りなおそうと思って、「善の研究」を手始めに、岩波文庫に収められた論文を順次読み進んでいった。ところが今回もやはり、あの「場所」という論文に引っかかってしまった。何が書かれているのか、あいかわらず理解するのに大いなる難儀を感じるのだ。そこで筆者は、これは自分の頭が悪いせいだと悲観してもみたのだが、難しいと言っているのはどうも筆者だけではない。西田の研究に生涯を捧げた上田閑照のような学者でも、「場所」はむつかしくてなかなか理解できなかったと言っている。その上田が「場所」を解説している文章を読んでも、読者に向かってわかりやすいように噛み砕いて説明してはおらず、西田の言葉をそのまま使いまわして体裁を繕っているような按配だ。

こんなわけで、西田幾多郎という思想家には、容易に人を寄せ付けない独特の難しさがあるとの思いを強くした次第だった。概して哲学者の書いた文章は読みづらいものだが、それは言葉の選択やその配列に世の中の常軌とは多少違ったところがあるからで、それに馴れればおのずから道が開けてきて、どんなに難しい文章でも理解不能ということはない。ところが西田の文章には、並大抵の理解力では掴めないところがある。それは何に由来するのか。そんなことまで考えるようになったが、それはさておいて、上田も辛抱強く読み続けておれば、そのうちわかるようになるだろうと言っているので、筆者もいささかの忍耐力を振り絞って、西田のわかりづらい文章を何とか理解しようと努力を続けてきたし、いまもしているところだ。

筆者がこうまでして西田にこだわるのは他でもない。西田はなんと言っても、日本に初めて現れた本格的哲学者ということになっている。哲学者というのは、西洋哲学の伝統に立って思想を展開する人物という意味だ。東洋的な色彩の思想を展開した思想家は過去に何人も現れたが、西洋思想の伝統を踏まえて自分の思想を展開した哲学者は、日本では西田が最初の人である。だから、西田は日本の思想の歴史において一つの道標をなすものであるとともに、哲学を世界史規模で考えた場合にも、ユニークな位置を占めるのは間違いない。だから哲学に従事する者は無論、筆者のように単なる哲学マニアにとっても気になる存在なのだ。少なくとも日本では、西田を抜きにして哲学を論じることはできないだろう。西田を積極的に捉える者であるにせよ、はたまたその逆に西田を消極的にしか評価しない者であるにせよ。

西田を評価する際の論点にはいくつかのものがありうるだろう。例えば西洋思想と東洋思想の融合だとか、哲学を禅に立脚させたとか、近代西洋哲学の問題意識に西田なりの立場から答えようとしたとか、さまざまな論点が考えられる。そこで、どんな論点をとるか、についてだが、筆者としては、当面は西田を西洋近代哲学の枠組の中で位置づけたいと思っている。それは、西田自身が「善の研究」のなかで、「純粋経験を唯一の実在としてすべてを説明してみたい」と書いているからでもある。純粋経験といい、実在といい、どちらも西洋哲学プロパーの問題領域である。そのうえ「純粋経験」のほうは西田の同時代における西洋(近代)哲学の共通の問題でもあったわけだ。つまり西田は、自分は同時代の西洋哲学の土俵の上で、彼らと共通の問題に取り組んでいると言っているわけである。だから西田をまず、同時代の西洋哲学との連関のうえで論じるのが最も正統なやり方だと考えるのだ。哲学と東洋思想との関連とか、禅との関連とかについては、その延長上に論じることで、十分論点を展開することができるだろうと思う。

そこで、西田が同時代の西洋哲学をどのように捉えていたかが問題になるが、これについては西田自身が、「現代の哲学」(「思索と体験」所収)と題する論文の中で要約して見せている。その中で西田は、同時代の西洋哲学を、二つの大きな潮流に大別している。一つは新カント派の潮流、もうひとつはベルグソンに代表される直感主義的な流れである。新カント派には、コーヘンを中心としたマールブルグ学派とヴィンデルバンドらの西南学派のほか、フッサールの現象学やマッハらの経験批判論的な立場まで含めている。直感主義には、ベルグソンの純粋持続の立場のほか、ウィリアム・ジェームズの純粋経験の立場などがあるが、どちらも意識における直感を唯一の手がかりにして、人間の認識のメカニズムを明らかにしようとする立場である。それゆえ認識論的な色彩が濃いのであるが、その点では新カント派のほうが徹底していて、彼らの哲学は認識論に特化したものと言ってもよい。

この簡単な要約からもある程度浮かび上がってくるように、西田の同時代における西洋哲学の問題関心は人間の認識に集中され、そこから哲学とは認識を論じる認識論だとする了解が支配的であった。存在は認識の同伴者としての役柄に貶められてしまっていたわけである。そこへ西田は割り込んでいって、存在をもう一度哲学の最重要課題として位置づけなおしたというようなことになった。「純粋経験を唯一の実在としてすべてを説明してみたい」という言葉には、そのような西田の問題意識が込められているわけである。西田の西洋における同時代人たちが認識論の領域の問題だと考えていた「経験」を、西田は存在の問題領域に接続するものとして捉えなおしたのだ。これはハイデガーらの問題意識とも重なるところがあり、そういう点でも西田は同時代の西洋哲学の流れにしっかりと掉さしていたといえるのではないか、そう考えられるのである。

純粋経験の内容の細部については別項で触れる予定でいるが、ここでは、それが新カント派の問題意識やベルグソンらの直感主義的な立場とどのような関連があるかについて触れておきたい。新カント派に共通する問題意識は、カントに見られる二元論的な見方を克服するというものだった。周知のようにカントは、人間の認識が成立する根拠を、主観と客観との出会いに求めた。認識とは、外部からの刺激としての直感を材料にして、人間が自分の認識作用に備わったアプリオリな枠組を当てはめることによって成立する、と考えたわけである。この場合、直感の背後にはそれの原因となるものがあり、それをカントは物自体と名づけたわけだが、人間にとって直接接することができるのは、物自体の影である直感であって、物自体は人間の認識を超えていると考えた。主観と客観とが截然と区別されたわけである。新カント派は、まずこの物自体というものを認識の領域から追放した。そうすることを通じて、主観と客観との厳密な区別も意味のないものとして退け、人間の認識を主客未分の直接的な経験に基づかせようとした。そういう点で新カント派は、経験一元論と称されることもある。

主客未分の直接的な経験を出発点とする点では、ベルグソンらの立場はもっと徹底している。新カント派がカントに倣って主観とか客観といった概念をいまだ使用しているのに対して、ベルグソンはそうした概念さえ追放する。依拠できるのは、意識のなかの現実としての直感だけである。その直感には主観もなければ客観もない。すべてが渾然と交じり合った原初的な状態である。だから直感主義とか直感一元論とか称されることもある。

西田は、新カント派の経験一元論的な立場やベルグソンらの直感主義の立場から、自分の純粋経験のアイデアを思いついたのだと思う。それだけなら西田は、あまりユニークな思想家にはならなかっただろう。単に新カント派やベルグソンらの直感主義の亜流くらいの位置づけで終わったことだろう。だが西田はそこにとどまらなかった。それは西田が、先ほども触れたように、純粋経験を実在と考え、そこから(西田なりに)壮大な存在論を展開したということから来る。


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