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機動戦と陣地戦:グラムシを読む


機動戦といい陣地戦といい、もともとは軍事用語である。機動戦とは短期決戦を目的とした正面攻撃をさし、陣地戦は長期的な戦いのために陣営をととのえることを意味する。これらの軍事的な用語を、グラムシは社会変革を説明するものとして活用した。グラムシのイメージでは、機動戦とはフランス革命に見られたような、ある階級つまりブルジョワジーが、短期間で敵対階級に正面攻撃をしかけ、成功裏に権力を奪取した事態を想定するいる。無論権力奪取に失敗することも考えられる。その場合には失敗した機動戦という言葉があてられるであろう。一方陣地戦とは、戦線が膠着し、局面の抜本的な打開が期待できない状況のなかで、陣営を優位を保つために、継続的になされる戦闘準備行為というようなイメージで語られる。グラムシは、フランス革命後1870年代までのヨーロッパを俯瞰して、革命時の機動戦ののち、1815年以降は長い陣地戦の時代に入ったと考えていた。

グラムシは、機動戦が功を奏するのは、社会の基盤的な状態の変化が決定的な段階に達したときだと考えていた。そうした社会的な基盤の変化とは、とりあえずヨーロッパについて言えば、資本主義システムが巨大な矛盾に直面し、階級間の対立が不可避になるような事態を意味する。どんな社会も、そうした矛盾が成熟しないかぎりは、外的な圧力で倒れることはない。ロシア革命が成功したとき、トロツキーは西欧諸国にも革命が拡散できると考えたが、グラムシによればそうした考えは、「正面攻撃が敗北しかもたらさない時期の正面攻撃の政治理論」(「グラムシ・コレクション」片桐薫訳、以下同じ)だということになる。それに対してレーニンは、西欧で可能な階級闘争の形態は陣地戦だと理解していた。いまはまだ、正面攻撃の機動戦を仕掛ける時期ではない。その期が熟するのをめざして、陣地戦に専念すべきだという考えを、グラムシはレーニンと共有していたのと言えそうである。

機動戦と陣地戦との関係をわかりやすく示すものとして、グラムシはインドの例をあげる。インドの場合には、機動戦と陣地戦のほかに地下戦という概念をさしはさんで、これら三つの関係を次のように表現している。「イギリス人に対するインドの政治闘争には、機動戦、陣地戦、地下戦の三つの闘争形態が認められる。ガンディーの消極的抵抗は、一つの陣地戦であって、ある時期には機動戦となり、また他の時は地下戦に転化する。ボイコット運動は陣地戦であり、ストライキは機動戦であり、武器や戦闘舞台を秘密に準備するのは地下戦である」

こう言うことでグラムシは、機動戦と陣地戦との関係を、必ずしもかなり長い時間幅のなかでのみ捉えていたわけではなく、比較的短期間のうちに、相互に規定しあうものとして捉えていたことがわかる。そうした捉え方は、正面攻撃と陣地戦とを交互に繰り返すという戦場の普遍的な性格に注目したものだろう。したがってグラムシの機動戦・陣地戦論は、社会の根本的変革をめざす根本的な戦いの様相と、当面する戦いを前提としたかなり戦術的な要素とに分解できそうである。

グラムシは陣地戦論の概念を、受動的革命という概念に接続する。この受動的革命という概念は、ヴィンツェンツィオ・クォーコが、ナポレオン戦争の反動としてイタリアで見られた革命を説明するものとして提起したものだ。イタリアでは、フランスのようにブルジョワジーが機動戦を通じて、つまり正面攻撃をしかけて、敵を倒したのではなかった。フランス革命に刺激されながらも、ブルジョワジーが封建的権力に正面からいどんだのではなく、さまざまな改革を通じて、国家を近代化した。このような「ブルジョワジーが権力に到達することを可能にする柔軟な枠組」として受動的革命が働いたのである。それは機動戦ではなく、陣地戦をもっぱらとした。というより、受動的革命こそ陣地戦の理想的な形態ということになる。

グラムシは言う、「この『受動的革命』の概念は、政治の領域で機動戦と対立する『陣地戦』と呼びうるものに近づけられうる」。イタリアでは、それはリソルジメントという形をとったが、ほかの国でも大なり小なりそうした動きは見られた。それらを総称してグラムシは「革命のない革命」、「受動的革命」と定義づけたわけである。「革命のない革命」とは、そこでは大規模な機動戦が見られず、改革を積み重ねることによって、ブルジョワジーの権力が実現するからであり、また「受動的革命」というのは、自ら(革命的)状況を作り出すのではなく、状況を利用して自らの意思を実現するからである。

グラムシはフランスのジャコバン派とイタリアの行動党を比較して次のように言っている。「ジャコバン派はマキャヴェッリ的現実主義者であって、抽象主義者ではなかった。行動党には、こうしたジャコバン的志向つまり指導者になるための確固たる意思に似たものは何ひとつ見られなかった」。行動党はイタリアのブルジョワジーを代表する政党である。その行動党が、自らの確固たる意志ではなく、状況の波に受動的に乗る形で、結果的に革命と同じものを実現した、とグラムシは皮肉たっぷりに言うのである。

面白いことに、グラムシはファシズムを受動的革命の一種と見ていたようだ。かれは、イタリアの「今日の状況下では、穏健的かつ保守的自由主義の運動に対応するものが、より正確にはファシスト運動ではないか」と言っている。要するに、保守的なブルジョワ層の意思を、革命なき革命を通じて、ファシズムが実質的に実現していると言いたいのであろう。こうしたグラムシの見方には当然批判がある。そうした批判の中でもっとも有力なのは、ファシズムはカイザー主義の典型的なもので、したがってすべての階級の利害を体現していると偽装したものだとする意見だ。カイザー主義は、マルクスがフランスのボナパルチズムを説明する概念として使ったものだが、その要点は、ボナパルトがすべての階級を代表するポピュリストとして受け入れられたことに、その権力の源泉を見ることにある。イタリアのファシズムも、ボナパルチズム同様、すべての階級の代表を僭称している。それが結果としてブルジョワジーの意思にもっとも忠実だとしても、現象的にはすべての階級を代表する偽装にこだわる点で、ポピュリズムとしてのカイザー主義を体現しているということができる。

カイザー主義の成功のためには、労働者を含めたすべての階級の支持が必要である。じっさいイタリアの場合、労働者もまたファシズムの支持者となった。そのことはグラムシもわかっていて、「1922年のファシズムの勝利は、労働者の革命に対して与えられた勝利ではなく、革命勢力が自らの内在的欠陥のためにこうむった敗北の結果とみなされるべきである」と言っている。つまり労働者は、支持すべき相手を見誤ったということになる。こういう現象は、過渡期にはえてして起こりがちだとグラムシは考える。「危機は、まさしく、古いものが死に、新しいものが生まれることができないという事実にある。この中間的空白期には、さまざまな病的現象が現れてくる」。つまりグラムシはファシズムを過渡的空白期における病的現象と捉えてもいたわけである。



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