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大統領の独裁:シュミットのワイマール憲法第48条解釈


カール・シュミットの1924年の著作「ライヒ大統領の独裁」は、ワイマール憲法第48条の解釈をめぐる議論である。この条項は大統領の非常権限を定めた規定であり、それが後にヒトラーの独裁を許したものとして、公法学史上非常に議論のあるものとして知られるが、シュミットがこの論文(初版)を書いた1924年の時点では、1919年の制定からまだ5年しか経っていないにもかかわらず、ドイツの未曾有の政治的・経済的危機を前にして、すでに何度も実際に発令されており、しかもそのたびにその法的根拠とか効果をめぐってさまざまな議論が交錯し、この条項についての統一的な見解は成立していないような状態だった。シュミットをそれに一石を投じ、ワイマール憲法48条が定める大統領の独裁権限の範囲と効果について明らかにしようとしたわけである。

シュミットの議論は例によって狡猾な具合に錯綜しているので、彼が一体何を言いたいのか、その本意をさぐるのに苦労するのだが、一応議論を整理する為に、彼の議論の骨格を述べると以下のようになるだろう。

憲法学的な見地からは、ワイマール憲法第48条に定められた大統領の非常権限は、シュミットのいうところの委任独裁である。その限りで大統領は憲法の制約を受ける。ところが、1919年以降のドイツの歴史的な経緯の中では、この条項を根拠にして大統領の非常権限が何度も行使され、その際には事実上この憲法が許容する範囲を超えて大統領権限が無制約に行使された経緯がある。だがいまとなって、それを非難するわけにも行かない。なぜならそれらの行為は、あの当時のドイツの危機的状況を前にしては、必要不可欠なものと認めなければならないからである。あの時ドイツの政治家が、憲法の制約に遠慮していたら、ドイツはおそらく破滅していただろう。シュミットはそういう認識に立って、基本的にはワイマール憲法48条にもとづく大統領の非常権限が委任独裁の範囲内のものだと強調する一方、ドイツが真に危機的状況に直面したときには、委任独裁を超えたさらに広範な独裁としての主権独裁も認められる、と主張するわけである。1919年以降のドイツで実際に行使されたライヒ大統領による独裁は、ワイマール憲法が定める委任独裁の範囲を逸脱していたが、主権独裁の発動としては、ごく常識的なものであった。そう整理することでシュミットは、ワイマール憲法とドイツの政治的実情とを調和させようとするわけである。

そこで1919年以降のドイツの政治状況を簡単に振り返ると、敗戦以降高まった反政府運動はすさまじい勢いを示し、内乱に近い状況を呈する一方、プロイセンやザクセンでは反政府勢力が一時的に州の権力を奪取するような状況が生じた。そうした状況に対して、政治活動にかかわる基本権を停止する措置が出されたり、またプロイセンやザクセンではライヒ大統領が直接州の統治機構に介入するような事態が、ワイマール憲法第48条を根拠にして生じた。その際には、第48条第二項で定める基本権の停止以外にも、様々な基本権が無視されたし、またワイマール憲法が定める統治体制そのものが棚上げされた。これはどうみても行き過ぎであって、ワイマール憲法の範囲内のことではなく、ワイマール憲法を逸脱したものだとの批判もあったが、そうした批判についてワイマール憲法を拡大解釈して乗り切ろうという日和見主義的な対応があったなかで、シュミット一応正論を吐いた上で、非常事態においては、超憲法的な行為も許容される、それは国家緊急権に含まれた権利なのだ、と主張したわけである。

国家緊急権は、個人における正当防衛権のようなもので、正統防衛が個人の生存を守るために認められる究極の権利であることに対応して、国家の生存を守るための基本的な権利だとするのがシュミットの立場である。

「国家緊急権の根本は、予期しえぬ極端な事例において、国家の存立を守り、事態によって必要とされることを行うために、行動する力をもつなんらかの国家機関が、憲法諸規定の枠外で、あるいは諸規定に反して、処置を行う、という点にある・・・これに対し第48条第二項は、憲法上の法制としての非常事態を規定するものである。このことによって、国家緊急権との混同は、排除される」(「ライヒ大統領の独裁」田中、原田訳)

つまり国家緊急権は憲法の枠外のことがらであり、それに対してワイマール憲法第48条に定める非常事態は憲法の枠内のことがらであって、両者は次元を異にすると言うのである。これは、国家の緊急事態にあっては、憲法は停止されても問題ないとするシュミットの基本的考えが反映された部分である。

こうしたわけであるから、ワイマール憲法第48条を論じるときには、シュミットはかなり実務的な議論をしている。議論の対象が実務的なものを超えるとき、つまり憲法によっては国家の危機が救えない状況について論じるときには、シュミットの議論は一気に政治的になるのであるが、この論文のなかでは、シュミットはそこまで進んでいない。とりあえず、憲法の枠内での非常事態権限と憲法の枠を超えた国家緊急権との違いを明確にするに止まっている。

シュミットのこの態度の背景には、これもやはり当時のドイツの政治情勢が働いていたと考えられよう。ワイマール憲法制定後しばらく混乱の極にあったドイツの政治情勢は、シュミットがこの論文を書いた1924年後頃には一段落し、ライヒによるドイツの政治的統合が回復されつつあった。したがって、憲法を越えたむき出しの権力の出番は次第に少なくなり、憲法体制にもとづいた秩序が強固になっていた。そういう事情では、ことさらに超憲法的な措置の必要性について声を枯らして叫ぶ意義は薄い。そんな無理なことをしなくとも、秩序は回復されるという見込みがあるからだ。そんなわけでシュミットは、憲法と超憲法との境について線引きすることで一応満足し、それ以上に進むことをためらったのだと思う。

だが周知のとおり、1929年の世界恐慌を契機として、ドイツの政治状況は再び混乱するようになる。そうした状態で、ドイツの混乱を収束させるための、国家緊急権の議論も現実性を帯びるようになる。その際にシュミットがどのような反応を示したか、多言を要しまい。彼はライヒ大統領の主権独裁の議論を展開することで、ヒトラーにその主権独裁者としての役柄を作ってやったのである。

なお、ワイマール憲法第48条について、参考のために拙訳と原文を添付しておく。


第48条
 州がライヒ憲法あるいは国際法によって課された義務を遂行しない時には、ライヒ大統領は、国軍の助力を以てそれを強制することができる。
 ドイツ国内において公共の安全及び秩序が深刻な攪乱乃至脅威にさらされている時には、ライヒ大統領は、公共の安全及び秩序を回復するために必要な措置を取ることができ、必要な場合には、そのために国軍の助力を用いることができる。この目的のために、ライヒ大統領は、憲法第114条、第115条、第117条、第118条、第123条、第124条及び第153条に規定された基本権を、全面的にあるいは一部について、停止することができる。
 本条第一項乃至第二項によって実施されたすべての措置について、ライヒ大統領は、ライヒ議会に速やかに通知しなければならない。これらの措置は、ライヒ議会の求めがあれば、廃止されなければならない。
 遅滞が危険な場合には、各州の当局は、その領域内において、本条第二項に規定された一時的な措置を取ることができる。それらの措置は、ライヒ大統領乃至ライヒ議会の求めによって廃止される。
 詳細は、ライヒの法律がこれを規定する。

Artikel 48
 Wenn ein Land die ihm nach der Reichsverfassung oder den Reichsgesetzen obliegenden Pflichten nicht erfüllt, kann der Reichspräsident es dazu mit Hilfe der bewaffneten Macht anhalten.
 Der Reichspräsident kann, wenn im Deutschen Reiche die öffentliche Sicherheit und Ordnung erheblich gestört oder gefährdet wird, die zur Wiederherstellung der öffentlichen Sicherheit und Ordnung nötigen Maßnahmen treffen, erforderlichenfalls mit Hilfe der bewaffneten Macht einschreiten. Zu diesem Zwecke darf er vorübergehend die in den Artikeln 114, 115, 117, 118, 123, 124 und 153 festgesetzten Grundrechte ganz oder zum Teil außer Kraft setzen.
 Von allen gemäß Abs. 1 oder Abs. 2 dieses Artikels getroffenen Maßnahmen hat der Reichspräsident unverzüglich dem Reichstag Kenntnis zu geben. Die Maßnahmen sind auf Verlangen des Reichstags außer Kraft zu setzen.
 Bei Gefahr im Verzuge kann die Landesregierung für ihr Gebiet einstweilige Maßnahmen der in Abs. 2 bezeichneten Art treffen. Die Maßnahmen sind auf Verlangen des Reichspräsidenten oder des Reichstags außer Kraft zu setzen.
 Das Nähere bestimmt ein Reichsgesetz.



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