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悪魔:レールモントフの叙事詩


レールモントフが叙事詩「悪魔」を完成させたのは、死の年である1841年のことであるが、書き始めたのは1829年であるから、十二年も費やしたことになる。かれは二十六歳で死んだので、生涯のほとんどをこの叙事詩のために費やしたといえる。かれの意識の中では、自身にとっての当面のマスターピースという位置づけだったのであろう。

テーマは、タイトルにあるとおり、悪魔の神への反逆である。悪魔はもともと天使の一人だったのだが、神に反逆したために、堕天使となって追放され、悪魔と呼ばれるようになった。そこで悪魔は、すべてにおいて神に反逆するのである。ところが、美しい女を愛したことで、心を入れ替える。その乙女と結ばれるためには、神と和解してもいいというのだ。悪魔は言う、「おれはふるい恨みは棄てたぞ。傲慢な考えも棄てた。今日よりはもう狡猾なへつらいの毒が、誰の考えもみだすことはあるまい。おれは天国と和解したい。愛したい、祈りたい、おれは善を信じたいのだ」(北垣信行訳)

かくて悪魔は、愛する女の枕辺に現れ、彼女に求愛する。彼女には婚約者があったのだが、その婚約者は急死してしまった。そこで自分の不運をはかなんだ彼女は、父親を説得して修道院に入れてもらう。その修道院で嘆いている彼女のところに悪魔が現れるのだ。

女ははじめ悪魔を拒絶していたが、そのうち悪魔の心にほだされて、接吻をゆるす。しかし、その接吻は彼女の死を意味した。悪魔は、彼女とともに生きるためには、神に追われた身としては、とりあえず彼女を自分の領土である地獄へ導かねばならないのだ。叙事詩は、彼女の肉体が山の険しい頂のそばに埋められたと伝えるのみで、彼女の魂がどうなったかまでは触れない。そのため、結末部分の意義が曖昧になり、さらに叙事詩全体としてのアピール・ポイントもあいまいになったきらいはある。

レールモントフがなぜ悪魔をモチーフに選んだのか。また、その悪魔の行動にどんな意味を込めたかったのか。かならずしも明確には伝わってこない。悪魔と神との和解というような単純なことではないらしい。それにしては、この悪魔は、神と和解したいといいながら、いざ乙女と結ばれる段になると、彼女を滅ぼしてしまうようなことをする。そのあたりの悪魔の描き方が、明瞭さに欠けているのだ。

レールモントフが、権力への抵抗を生涯の課題としていたことを理由に、この叙事詩の中の悪魔も、権力への抵抗のシンボルなのだと解釈するムキもあるが、そんなふうに単純化することにも無理があるようだ。この叙事詩の中の悪魔は、神との和解を望みながら、乙女を滅ぼすようなマネもするわけで、かなり分裂した心性を感じさせるのである。

そういう具合に、この叙事詩には生煮えのようなところが目立つ。おそらく若書きのせいだろう。




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