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プーシキン「エヴゲーニイ・オネーギン」を読む


プーシキンは、ロシア近代文学の父といわれる。「エヴゲーニイ・オネーギン」は、そのプーシキンの代表作といってよいから、ロシア近代文学の模範となった作品だ。ヨーロッパの各国には、それぞれ近代文学の出発点となり、その後の民族の文学にとって手本となるような作品があるものだ。イタリアの場合にはペトラルカの詩集がそうだし(ダンテは近代文学とはいえない)、フランスではラブレーの「ガルガンチュア」がそうだし、イギリスではシェイクスピアの「ハムレット」がそうだし、スペインでは「ドン・キホーテ」がそれにあたる。それら各国のケースからはかなり遅れるが、ロシアではプーシキンの「エヴゲーニイ・オネーギン」を以て、ロシア近代文学の夜明けを画するものとする見方に異存はないと思う。

「エヴゲーニイ・オネーギン」は、ロシアでなければ生れ得なかったもっともロシア的な文学だということになっている。その理由は色々ある。それについて、ごく簡単に触れてみたい。

まず第一に、ロシア人気質というというようなものが典型的な形で描かれていることだ。小生は、チェーホフを論じた文章の中でも触れておいたが、ロシアのもっともロシアらしい特徴は、文明的な野蛮さと西欧に対するコンプレックスだと思っている。文明的な野蛮さは、ながらくタタール人のくびきのもとで暮らし、やっと18世紀になって人間らしい生き方に目覚めたというような歴史的な経緯に根差している。一方、西欧に対するコンプレックスについては、ロシア人に対する西洋人の軽蔑感情の裏返しのようなもので、ロシア人はそうした自己に向けられた西欧の軽蔑を自己自身に内面化することで、それに心理的な根拠を与えていた。小生は、敗戦後の日本がアメリカに対するコンプレックスを内面化したことをパンパン・コンプレックスと呼んでいるが、それと同じような心理的な傾向をロシア人にも指摘できると考えている。

そうしたロシア人のコンプレックスを、プーシキンはこの「エヴゲーニイイ・プーシキン」の中で、恥じらうことなく、大胆に表現した。この作品の主人公は、田舎に暮らす若い男女であるが、かれらは表面上は西欧的なきらびやかさを模倣しつつ、心の中は空虚である。そうした空虚さは、かれらが文明的に自立できていないことからくる、ということを、プーシキンは包み隠さず描き出したのである。

第二点は、これは第一点のロシア人気質とも関連するが、ロシアの男女の典型をプーシキンがこの作品で示していることである。これもチェーホフ論の中で多少触れておいたが、ロシア人の男の特徴は、一言で云えば刹那的な衝動に陥りやすいということである。刹那的ということは、合理的な行動が出来ないということである。未来を計算しながら生きることができないので、意思が薄弱である。その結果、失って見てはじめてその大事さに気づくということになる。じっさいこの作品のテーマは、主人公のエヴゲーニイが、かけがいのない人に対して合理的にふるまうことができず、彼女を失って始めて自分のおかした過ちに気づくということになっている。一方、女のほうもまた合理的に振る舞うことができない。女の身でなにか意味のある行動ができるとは露も思えないからだ。だからロシアの女は、物事に対して受動的にふるまい、諦念のなかに逃げ込むようなことになる。この作品の中のタチアナも、オネーギンを愛していながら、その愛を貫くことが出来ず、運命を甘受するほかないのである。そうした男女の組み合わせから生じる不幸は、どちらに理由があるというわけではなく、男女が無意識的に協働することによってもたらされるのである。

第三点は、これは批評家たちが好んで指摘したがることであるが、ロシア特有の社会的条件が、ロシアの若者たちに好ましからぬ影響を及ぼしていることを表現していることである。ロシア特有の社会的条件とは、長いあいだ続いてきた農奴制が、ロシア人の自己意識に悪い影響を及ぼしたということである。農奴制は社会に深い分断をもたらす。その分断が、下層階級には下劣な根性を植えつけ、貴族などの上層階級には偽善的な生き方を強いるようになる。この作品には下層階級の人々はほとんど出てこず、地主を始めとした上層階級の人々がが出てくるだけであり、オネーギンもそれに属している上層社会というのは、偽善の塊として描かれている。その偽善的な社会においては、女もまた男同様に偽善的になるのである。

ざっとこんなわけで、プーシキンはロシア社会の後進性とか欺瞞的な人間関係を率直に描いている。だからプーシキンの描く人間像にはややステロタイプを感じさせるところがある。それは男については、現実と遊離した観念的な態度・振舞いであり、女については運命に従順な生き方ということになる。じっさいこの作品においては、オネーギンにはまともな現実感覚は全くと言ってよいほど見られず、タチアナはただ運命を前に諦念し続けるほかないのである。そうしたオネーギンとかタチアナの人間像は、その後のロシア文学における典型的な人間像として受け継がれていくことになる。そういう点でもプーシキンはロシア近代文学の父と言われるに値するのである。

プーシキンはこの作品を24歳の時に書き始め、31歳にして完成させている。かくも長い間かかったのは、かれなりの意気込みの表れといえる。プーシキンはこの作品を、「詩で書かれた小説(ロマン)」と呼んでいる。たしかに形式上は叙事詩でありながら、内容的には近代的な小説の世界といってよい。世界で最初に散文で小説を書いた功績はフランスのスタンダールに帰せられるのだが、プーシキンは、スタンダールの「赤と黒」とほぼ時期を同じくしてこの作品を書いた。それは散文で書かれたものではなかったが、内容的には散文で書かれた小説の類を思わせるものである。




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