知の快楽 哲学の森に遊ぶ
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デカルトにおける学問の方法


「良識はこの世で最も公平に分配されているものである。」(野田又夫訳、以下同じ)これはデカルトの著作「方法序説」第一部の冒頭を飾る言葉である。デカルトは続けて次のようにいう。「よく判断し、真なるものを偽なるものから分かつところの能力、これが本来良識または理性と名付けられるものだが、これはすべての人において相等しい。」

デカルトがこれらの言葉で言いたかったことは何だろうか。デカルトのいう理性とはあらゆる人間に相等しく備わっている。デカルトはこの理性にもとづいて真を偽から区別し、世界についての正しい認識に達したいと、とりあえずはいいたいのであろう。

だが人間は往々にして誤ることがある。また人間の認識の結果は人によって著しく異なることがある。それは何故か。デカルトは言う。「我々の意見がまちまちであるのは、我々のうちのある者が他の者よりもより多く理性を持つから起こるのではなく、ただ我々が自分の考えをいろいろ違った途によって導き、また考えていることが同一のことでない、ということから起こるのである。」

デカルトは人間が等しく理性を持っているのに、意見を異にするのは、人々が世界や対象について違った見方をするからだという。対象によっては、人びとの意見の相違は問題にならないどころか、むしろ多彩な創造をもたらすこともあるだろう。しかし自分自身についてのことを含めて、世界について正しい認識を得ようとするからには、理性を誤りなく用い、対象についての明証的で疑い得ない真理に立脚しなければならない。

デカルトはこの世界についての明証性の根拠を、自分自身の意識の作用の中に基礎付けた。これは哲学史上画期的なことだった。それまでのヨーロッパの哲学は、人間の認識から出発するのではなく、神や実体をはじめ、形而上学的な超越者から出発していた。超越者を根拠として定立するための過程においても、個人の認識作用を持ち出すことはなかった。

デカルトは世界認識の中心に個人の意識を持ち出したことにおいて、天文学においてコペルニクスが果たしたと同じような役割を、哲学史上において果たしたといえる。

デカルトは認識の明証性の議論を「方法序説」第四部で詳細に展開しているが、それに先立ち、既成の学問への疑問や、それを踏まえて、学問の合理的で正しい方法といったものについて予備的な議論をしている。

デカルトはいう。既成の諸学問のほとんどは、「確信をもってこの世に処する」ためにはまったく役に立たない。人文学者たちの道徳論は信用できぬし、スコラ哲学者たちの議論も曖昧で、真偽がはっきりしない。ひとつ数学のみは、明白で確かな根拠を有しているように思える。

このようにデカルトは、既成の学問のほとんどを根拠があいまいだという理由で退けたが、数学を始めとした自然学には一定の評価を与えた。それはルネサンスの時代以降、彷彿として湧き上がってきた自然研究の流れに、デカルト自身関与していたことの現われでもある。実際哲学史上において、近代的な自然科学に影響された最初の哲学者はデカルトだったのである。デカルトは一方では個人に立脚することで、近代的な人間観を確立したとともに、他方では自然研究に立脚することで、合理的な方法態度を始めて導入した思想家だったのである。

既成の学問を排除し、自然科学の方法を意識しながら、デカルトが自分に課した学問の態度とは次のようなものであった。

第一に「私が明証的に真であると認めた上でなければいかなるものをも真として受け入れないこと。」

第二に「私が吟味する問題の各々を、できるかぎり多くの、しかもその問題を最もよく解くために必要なだけの数の、小部分にわかつこと。」

第三に「私の思想を順序に従って導くこと。最も単純で最も認識しやすいことから始めて、少しずつ、いわば階段を踏んで、最も複雑なものまでのぼっていき、かつ自然のままでは前後の順序をもたぬものの間さえも順序を想定して進むこと。」

第四に「何物も見落とすことがなかったと確信しうるほどに、完全な枚挙と、全体に渉る通覧とを、あらゆる場合に行なうこと。」

この四つの挌率はそれぞれ、明証性、分析、演繹、枚挙といいかえることができる。つまり今日あらゆる分野の科学研究において、指導原理となっているものである。デカルトはこうした科学的な態度を始めて自覚的に実践したのであり、なおかつそれを哲学の分野にも採用したのだった。

デカルトがこれらの挌率を自らの学問の指導原理として自覚したのは、1619年の冬から翌年の春にかけて、バヴァリアの軍隊に入隊していたときのことであった。若い頃のデカルトは各地の軍隊に入隊していたのであるが、それは思索に適しているという理由からであった。

デカルトは朝起きが苦手で、昼過ぎにならないと床から出てこなかったが、床から出て身体が温まると思索に集中するのであった。その点、冬の雪の中で一晩中立ちっぱなしで思索にふけったというソクラテスとは異なっていた。以上に述べた挌率も、暖かい暖炉の側で思索するうちに次第に形をなしてきたのだと、デカルト自身が後に述べている。

その後デカルトはオランダに移住して、研究を続け、その中から真に明証的なものとしての「考える自分」に行き着くのである。





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