知の快楽 哲学の森に遊ぶ
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エピステーメーとパラダイム


フーコーが「言葉と物」の中で「エピステーメー」の概念を提出したとき、これを「パラダイム」と比較する動きが結構あった。トーマス・クーンが「科学革命」の中でパラダイムの概念を提示したのは1962年のことだったし、フーコーの「言葉と物」はその4年後の1966年に出版されたこともあり、二つの概念の提出時期が重なっていたのと、その内容にかなり似ているところがあったので、無理もない動きだったと言える。

クーンのパラダイム論は、あくまで科学者集団の内部における科学的な実践を対象にしたものであり、かなり限定された領域を扱っていたのであるが、これを科学の領域を超えて、知の領域すべてに広げて解釈するという動きが強くなった。パラダイムは科学の特殊な領域を対象とする限定的な概念から、知一般をカバーする普遍的な概念へと変化したわけである。クーン自身は、そうした拡大解釈を拒み、パラダイムをあくまでも科学の領域に限定しようとする態度をとり続けたが、彼によるパラダイム概念の定義に曖昧なところがあったりして、いわばパラダイム概念の拡散が起こってしまったわけである。

一方フーコーのほうは、エピステーメーを、ある特定の文明圏の、ある特定の時代における、知一般の枠組であると主張していた。それはすべての知が成立するための前提として、個別諸科学のあり方を規定するとともに、その時代を生きているすべての人々の認識作用を制約するものとされた。人々は、ある特定のエピスステーメーにしたがって、物事を認識したり、科学的な説明をしたりするのである。それ故、エピステーメーとパラダイムのそれぞれの概念を厳密に解釈するならば、両者を混同するようなことは起こらないはずだ。実際フーコーは、パラダイムについては全く言及していない。それは、自分のエピステーメーとクーンのパラダイムとは、基本的に異なると考えたからだろう。なにしろ、フーコーがエピステーメーの概念を練っていた頃には、パラダイム概念は思想界にセンセーションを起こしていたわけだから、それをフーコーが知らなかったはずはない。知っていながら無視すると言うのは、それがエピステーメーとは異なるというふうに考えていたからではないか。

ところが、思想界の大方の動向は、この二つの概念を密接に関連させて解釈するというものだった。両者は、人間の知的活動にとっての制約条件であるという点で一致し、相違はそれぞれが扱う範囲の差であると考えた。エピステーメーは、知一般に通底する共通の枠組であり、パラダイムは、それの科学における発現形態だと考えたわけである。こうした受け止め方は、クーンとフーコーの意向を超えて広がっていった。メルキオールの1985年のフーコー論「フーコー 全体像と批判」においても、この二つは密接に関連付けて論じられている。こうした論じ方が、その後も受容されていったというふうに言えるのではないか。

ここでは、メルキオールの論述を参考にしながら、エピステーメーとパラダイムの、二つの概念の比較をしてみようと思う。

メルキオールは、クーンのパラダイムとフーコーのエピステーメーが両者とも知の枠組であるということを、明示的には言っていないが、暗黙の前提としたうえで、両者の共通点を二つあげる。一つは、パラダイム同士、あるいはエピステーメー同士は「共約不可能」という点であり、もう一つは、パラダイムもエピステーメーも、外的な強制(強力な反論など)によって滅びるのではなく、クーン言うところの「ゲシュタルトの切り替え」のような、文化の変貌に応じて滅びるという点である。

共約不可能性とは、パラダイム同士あるいはエピステーメー同士が連続しておらず、断絶しているということである。特定分野の科学は時間系列にしたがって連続的に発展するということがない。それぞれの時代のパラダイムは断絶しているのであるから、ある時代の特定の分野の科学は、それ以前の時代から発展をとげて現在のような形になったと言うように、通時的に捉えることはできない。その分野の科学は前の時代と比較するのではなく、同時代のほかの科学と比較すべきなのである。同時代のもろもろの科学は同一の知的枠組の上に立っているのに対して、次代が異なるとその枠組自体が変わってしまうから、比較のしようがないからである。

パラダイムもエピステーメーも、別のものに切り替わるときには劇的な様相を示す。それをクーンは「ゲシュタルトの切り替え」というわけだが、フーコーのほうは「突然変異」というような表現で、その変化の劇的なさまを更に強調している。新しく登場したパラダイムとエピステーメーは、前の時代のそれとは共約不可能であるから、変化の前後に連続性を認めるわけにはいかない。すべてが新しい相のもとに見られるようになる。こうして新しい知的枠組にしたがって、それ以前のすべての事象が解釈しなおされ、説明しなおされることになる。

一方、パラダイムとエピステーメーの相違点がいくつか指摘される。まず、クーンのパラダイムは、一定の科学分野において、すべての科学者が共有しいている「範型」である。そのようなものとして、それはニュートンが説明する際に用いた原理のように、自覚的・意識的な原理とか方法論的な意識とかいったものに支えられている。あくまでも、意識に対して明示的なのである。これに対してフーコーのエピステーメーは、カントのアプリオリが意識以前の先験的な前提であったように、通常は意識に上ってこない非自覚的な・意識以前の前提である。しかも、それは個別科学者集団にとどまらず、一定の時代の一定の文明圏に属するすべての人々の認識作用を規定する働きをする。

これを言い換えれば、パラダイムは「理論以上のもの」であるが、エピステーメーに比べればずっと理論的である。エピステーメーは、無意識の深い層のなかで築き上げられる点で、理論はともかく、「世界観」のレベルをも超えている。世界観は、個別の理論を外側から拘束するものだが、エピステーメーは、世界観よりもさらに基底的な層にあって、世界観さえもがそこから生まれてくる地盤をなしている。

パラダイムは、その意識的な性格からして、変化する際には、科学者集団相互の激烈な戦いの結果という形をとる場合が多い。科学者たちは、既存のパラダイムで説明できない事象に出会うと、それを説明できる新たな原理を求め、古いパラダイムにとってかわる新しいパラダイムの探求に乗り出す。その結果、新しいパラダイムが生まれると、それにしたがってそれ以前の事象をすべて説明しなおそうとする。この新しいパラダイムによる古いパラダイムの書き換えは、全面的な様相を呈するので、革命という言葉がふさわしい。そんなところからクーンは、パラダイムを論じた著作に「科学革命の構造」という題をつけたわけである。

エピステーメーのほうは、そうした意識的な戦いによって変化するわけではない。それは人々の意識しないレベルでひっそりと進行する。パラダイムが科学者の意識的な戦いの結果入れ替わるのに対して、エピステーメーは、人々の意識しないままに、いつのまにか彼らの思考の様式が変化していた、というような形をとる。これをフーコーは突然変異的な変化といっているが、この突然変異的な思考様式の変化によって、それ以前とは世界の見え方が全面的に変わってしまうわけである。

こうしてみると、パラダイムとエピステーメーとでは、かなりな違いがあることがわかる。この違いを意識していたからこそフーコーは、エピステーメーの概念を説明するに当たって、パラダイムに触れることを避けたのであろう。便宜のためでせよ、パラダイムの概念を持ち出しては、両者の相違が軽視されることになりかねない。フーコーはそう思ったに違いないのである。ところが、思想界の普通の受け止め方はそうではなかった。フーコーが避けたかったまさにその方向に捻じ曲げて、エピステーメーの概念を受け止めるということが起こった。メルキオールもまた、そのように受け止めたひとりである。彼も、場合に応じて、この二つの概念を、ほとんど同一なもののように語っている。




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