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死に対する権利と生に対する権力:フーコーの権力論


ブルジョワジーの権力が「性=生」を中心点にして成り立っていることを指摘したフーコーは、それを「生に対する権力」あるいは「生―権力」と名づけたうえ、それを強調する意味合いで、古典的な権力である君主の権力すなわち臣民に対する「生殺与奪の権」と対比させる。「知への意思」の最終章である「死に対する権利と生に対する権力」は、この両者の対比を通じて、近代ヨーロッパ社会におけるブルジョワジーの権力の歴史的な特殊性について論じたものだ。

絶対君主の至上権を特徴付ける特権としての生と死に対する権利(生殺与奪の権)は、歴史的にはローマの家父長権に由来するとフーコーは言う。ローマの家父長権は、奴隷と並んで子供に対しても家父長たる父親=主人の生殺与奪の権を含んでいた。「彼は子供たちに命を与えたのであるから、それを彼から取り戻すことも出来たのだ」。この家父長権としての生殺与奪の権が、絶対王政の時代には君主の独占するところとなり、君主は臣下に対して生殺与奪の権をほしいままに揮うこととなった。君主が臣下を殺すのは、臣下が君主の家父長権という至上の権利を侵害したからである。侵害された権利は回復されねばならぬ。それも公然とした形で。こうして君主の命を狙うなどして君主の権利を侵害したものは、公衆の面前で儀式的に殺された。君主は不逞の臣下を殺すことで、自分の権利の回復を図るとともに、それを見世物とすることで、君主の権利の至上性を大々的にアピールしていたわけだ。こうした「生殺与奪の権」が、権力としてではなく権利として現れていたのは、君主の特権を正当化するためであった。

このような「死に対する途方もない権力」は、ブルジョワジーが支配階級となった近代ヨーロッパ社会では消滅した。代わって登場したのは、国民を生かすために用いられる権力、「生に対する権力」である。この権力は、「様々な力を産出し、それらを増大させ、それらを整えるためであって、それらを阻止し、抑えつけ、あるいは破壊するためでないような一つの権力である。死に対する権利は、その時から、生命を経営・管理する権力の要請の上に移行するか、少なくともそのような要請に支えを見出し、その求めるところのものを中心に整えられるという傾向をもつようになるだろう。君主のもつ自衛する権利、あるいは人々に君主を守れと要求するその権利の上に成り立っていたこの死は、今や、社会体にとって、己が生命を保証し、保持し、発展させるための権利の、単なる裏面として立ち現れることになるだろう」(「知への意思」第五章、渡辺守章訳、以下同じ)

君主の特権としての「死に対する権利」が消滅したことで、ブルジョワジーの支配する近代ヨーロッパ社会では、死刑の意味が激変した、とフーコーは言う。権力の最大の目的が生の保持・管理にかわった近代ヨーロッパ社会においては、死刑はある種のスキャンダルであり、矛盾だというわけだ。そこで死刑を廃止する国も出てくるわけだが、死刑を維持する場合でも、その目的は犯罪者の処罰というよりも、異常な犯人から社会を守るということに移行する。社会の安寧を守るという目的があるからこそ、異常で危険な人間を合法的に殺すことが出来る、というわけである。

いずれにしても、死は、「権力の限界であり、権力の手には捕らえられぬ時点である。死は(ブルジョワ社会にあっては)人間存在の最も秘密な点、最も『私的な』点」となる。

「生に対する権力」が戦略的な目標とするものは、「身体に関わる規律と人口の調整である」。国民の身体を、資本主義的生産様式に適合するように作り上げること、また、資本の蓄積に応じる形で人口の増大をコントロールすること。人口の増大は、資本の蓄積に比例していることが必要である。資本の蓄積の度合いよりも多すぎてもよくないし、少なすぎてもいけない。「人間の蓄積を資本の蓄積に合わせる、人間集団の増大を生産力の拡大と組み合わせる、利潤を差別的に配分する、この三つの操作は、多様な形態と手法に基づく<生―権力>の行使によって、ある部分では可能になったことだ。生きた身体の取り込み、その価値付与、その力の配分的経営、これらはこの時点で不可欠なものだった」(同上)

いまや、「権力が対象とするのは、もはや、それに対する権力の最終的な支配=掌握が死によって表されるような権利上の臣下ではなく、生きた存在となるのであり、彼等に対して権力が行使し得る支配=掌握は、生命そのもののレベルに位置づけられるべきものとなる。生命を引き受けることが、殺害の脅迫以上に、権力をして身体にまでその手を延ばすことを可能にするのだ」。こういうわけだからこそ、ブルジョワジーの権力は、「生に対する権力」と定義づけられるのである。

ここでフーコーが「生」と言っているものは「生=性」としての生である。それ故、生の経営・管理とは、性を経営・管理することとなる。性をめぐっても、身体の規律と人口の調整が中心的な事柄となるのだ。「一方では性は、身体の規律に属する。身体的な力の訓練と強化と配分であり、エネルギーの調整とその生産・管理である。他方では、性は、それが誘導するすべての総体的作用を通じて、住民人口の調整・制御に属する」(同上)というわけである。「『身体』と『人口問題』の接点にある性は、死の脅威よりは生の経営のまわりに組織される権力にとって中心的な標的となるのである」(同上)

とろこで、上述のプロセスは近代ヨーロッパ社会について言われたことであるが、これは日本の近代史にも、部分的にではあるが、あてはまるだろう。筆者は、日本において、フーコーの言う古典主義時代から近代への転換点となるのは、1945年の敗戦前後と考えている。それ以前においては、日本のエピステーメーは基本的に、フーコーの言う古典主義時代のエピステーメーと似たところがあり、それ以降になって、ヨーロッパの近代的エピステーメーに似たものが日本でも支配的になったというふうに考えている。この考えに基づけば、敗戦以前の日本では絶対君主の至上権である生殺与奪の権がいまだまかり通っていたということが出来る。実際、敗戦前の日本では、「子供は天子様からのさずかり物だから、天子様にお返しするのは当然だ」と言われていたし、そうした言い分が、自爆攻撃としての特攻を正当化する根拠ともなっていた。この時代の日本の天皇制権力は、死を通じて国民=臣下をコントロールしていたとも言えるわけである。

ところが敗戦後には、このような死を通じての国民のコントロールに代わって、生への配慮を通じて国民を統合しようとする動きが強まった。いわゆる福祉国家は、そうした国家による国民の生への気遣いをシンボリックに表現した言葉である。戦後の日本は、いったん失われた国力を回復する為に、国民を総動員したのであったが、その背景には、国民の生命に配慮し、国民の福利の向上に意を用いる政府がいるという観念が、国民による新しい権力の受け入れを抵抗なくさせた動力になったという事情があった。

もっとも、このプロセスはそう長くは続かなかった。敗戦から半世紀も経つと、日本の生産力は頭打ちとなり、それに呼応するかのように、人口のほうも伸び悩みから減少傾向へと移行した。そう長くない将来に、日本は老人ばかりがあふれる社会になるだろうと言われている。そうなると、国民の生を管理しようとしても、それ以前に管理の対象となるべき人口が減ってゆき、ついには半減するだろうとも言われているわけだから、生の経営・管理どころの騒ぎではなくなる。ましてや、性を中心に国民生活が組織されるなどというイメージは、荒唐無稽な妄想の類になる恐れがある。




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