知の快楽 哲学の森に遊ぶ
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フーコー「快楽の活用」


フーコーが「知への意思」の中で始めて「性の歴史」の全体構想について語った際には、それは時代としては古典主義時代以降をカバーし、領域としてはセクシュアリティの発現されている領域、すなわち「肉体と身体」、「少年十字軍(子どもの性の社会的管理)」、「女と母とヒステリー患者」、「性倒錯者たち」、「人口と種族」を対象としたものになるはずだった。ところが、「知への意思」から八年を経て発表された「性の歴史」第二編「快楽の活用」は、この当初の全体構想から大きくはずれたものになっていた。それは時代的には一気に古代ギリシャ(紀元前四世紀頃)に遡り、対象となる領域もギリシャ人の性へのかかわりに限定されていた。ギリシャ人が性を自己管理の一環として考えていたこと、結婚生活における性と婚外性交における性を厳しく峻別していたこと、女性への愛だけではなく若者への愛が重要な位置を占めていたことなどを、これまでとは異なった視点から分析しているのである。

フーコーが何故当初の構想を変えて、新しい視点から性の歴史を考え直そうとしたのか、その事情の一端が「快楽の活用」の序文の中で述べられている。フーコーは言う、「18世紀以降の<性>経験の形成と発展を分析する場合、必ず、欲望ならびに欲望する主体にかんして、歴史的で批判的な仕事を行わなければならないと思われた。したがって必ず<系譜研究(ジェネアロジー)>を企てなければならない」(「快楽の活用」序文、田村俶訳、以下同じ)

ここでフーコーが<系譜研究(ジェネアロジー)>と呼んでいるのは、ニーチェのいう「系譜学」と、それを踏まえたフーコー自身の「考古学」を連想させる言葉だが、フーコーはこの言葉を持ち出すことによって、<性>を正しく分析する為には、欲望する主体がいかにして形成されてきたか、それを歴史的に明らかにすることが必要だと考えたわけだ。しかして、その欲望する主体の形成の歴史は、たかだか十八世紀以降ではなく、古代ギリシャにまで遡る、それ故、性の歴史を叙述するには、古代ギリシャに遡って、<性>にまつわる<系譜研究(ジェネアロジー)>を企てねばならぬというのである。「いかにして近代の個人が<性>の主体として自分自身を経験することができたかを理解するためには、あらかじめ、西洋の人間が何世紀ものあいだに自分を欲望の主体として認識するにいたった、その仕方を解明するのが有益であった」(同上)

ところでフーコーは、考古学的な研究を、きわめて短い時間的スパンのなかで行ってきた。彼が対象としたさまざまな領域、精神医学とか監獄といったものは、せいぜいフーコーが古典主義時代と名づける18世紀半ば以降及びそれに直接先立つ時代を舞台にしたものであった。フーコーがそうしたわけは、彼のエピステーメー概念に含まれている歴史的アプリオリのためであった。歴史的アプリオリというのは、カント的な意味で人間の認識を制約する外在的な条件だとされる一方、悠久不変のものではなく、歴史的な起源を有するとする点でニーチェの系譜学を踏まえたものであった。ニーチェの場合には、その歴史的な起源を、西洋の道徳の起源ということに関しては、キリスト教の成立に求めたわけであるが、従ってその起源は、ニーチェにあっては一度限りのことで十分であった。ところがフーコーは、それを一度限りのことにはすませないで、何度でも変化するものであり、変化するたびに全くあらたな認識の枠組みとしてのエピステーメーが生まれるのだとしていた。従って、<性>の領域においても、近代における歴史的アプリオリと古代のそれとでは根本的に異なる、というべきはずだった。ということは、近代人の<性>経験と古代ギリシャ人の<性>経験は異なった地盤の上で生じたのであって、両者を連続した、非常に似た現象と捉えるのは間違っているはずなのである。ところがフーコーは、<性>の歴史を叙述するにあたって、一気に古代ギリシャまで遡り、そこでの<性>経験を近代のそれと密接に結びつけて論じようとするのである。

これはフーコーにとっては、大きな戦略変更ということになる。それはフーコー自身も認めていることで、性の歴史を書くに当たっては、「自己に関する解釈理論の、古典期古代における緩やかな形成を中心に研究全体を再構成する」(同上)必要を感じたというのである。

フーコーがそう感じたわけは、<性>の経験が、経験のほかの領域とは根本的に異なっていると思ったからではないか。<性>は、普通の認識作用とは異なって、人間の心的領域に限定されるものではない。また、人間の歴史の進行に伴って変化するような可変的なものではない。それは人間の心身全体を動員したトータルな営みであり、人間という種全体に共通していて、時間の推移を通じて変わらぬ普遍的な要素を持っている。だからこそ、古典古代のギリシャ人も、現代の人間も、<性>については基本的に変わらぬ要素を持っているはずだ。それはなぜかというに、<性>は人間の主体的な行為、しかも人間に自然に備わった属性のようなものだから、というのがフーコーのとりあえずの前提だったのではないか。

とはいっても、古典古代のギリシャ人と我々現代の人間とのあいだでの<性>についての振舞い方には、共通性だけではなく、相違も沢山ある。それは<性>が、自然的存在としての人間の自然の営みである一方で、人間が文化的な生き物として、<性>をめぐっても振舞い方の文化のようなものを築きあげるからである。

<性>をめぐる文化的振舞いという点では、フーコーは、十八世紀以降の近代人の性にまつわる様々なタブーをその好例としてあげている。われわれはこのタブーに余りにも捉われているために、それが人類にとっての悠久不変の道徳のように思いがちだが、実はそうではなく、少なくとも西欧における<性>道徳はキリスト教の成立をその起源としている。キリスト教の成立以前、たとえば古典古代のギリシャにおいては、性についてのタブーがなかったかといえば、そうではなく、やはりタブーはあった。そのタブーは、キリスト教道徳におけるタブーとはかなり様相を異にしていたので、簡単に同一視できないのは当然のことであるが、だからといって、共通性を持たない、まったく異なった文化にもとづくタブーだとするのも言いすぎである。

こんなわけでフーコーは、とりあえずは古典古代ギリシャと近代西欧社会とを対象にとって、それぞれに現れている<性>をめぐる振舞い方について、その間の連続性と断続性とを複眼的に眺め渡そうとしている。そうすることで、性における普遍の要素と、時代に従った可変の要素とを剔抉しようというわけである。

ここで「<性>をめぐる振舞い方」と言っていることをフーコーは、<生存の技法>と名づけている。この概念は厳密には古典古代のギリシャ人の<性>をめぐる経験に限定して使われているものであるが、それが<自己にかんする技術>として、主体の構成にかかわるという点で、近代人の生き方にも通じるものがあると言えるようである。フーコーによれば<性>とはすぐれて主体的な営みなのである。

(付記)フーコーの歴史的アプリオリの概念に含まれていた歴史の要素が、マルクスの唯物史観を踏まえていることは言うまでもない。その歴史の要素を、ここ(この書物)では没却している。ということは、この書物はフーコーのマルクスからの脱却を目指していると考えてもよいだろう。




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