知の快楽 哲学の森に遊ぶ
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ディオゲネス:犬儒派或はキュニコスの徒


マケドニアのアレクサンドロスがギリシャから東方世界にかけてを統一し、世界帝国を作り上げると、かつてのギリシャの都市国家は没落した。それにともない、都市国家を舞台に花開いた、自由で闊達な議論、自然や人間の本性を見極めようとする客観的で普遍的な精神は衰退した。人びとは開かれた大帝国にコスモポリタンとして生きることに反比例するかのように、ますます個人的で主観的な世界に後退していったのである。

この大帝国の時代を彩る文化をヘレニズムという。ヘレニズムの時代には、キュニコス派、懐疑派、ストア主義、エピクロス主義の四つの哲学潮流が盛んになった。いづれも政治や普遍的な問題からは目をそむけ、どうしたら人間は邪悪な世界にあって有徳になりうるか、あるいは外的な苦難を乗り越えて幸福になりうるか、といった個人的な問題に取り組んだ。それらの流れはやがて、中世のキリスト教的な世界のなかで、個人の魂の救済という問題意識に受け継がれていくであろう。

ディオゲネスは犬儒派の思想を体現した人である。というより犬儒派とはディオゲネスの思想を表すために作られた特別の用語なのである。ディオゲネスは日頃より自分が犬であることを自認していた。それで彼の生き方や思想は、犬を意味するギリシャ語「キュニコス」の名で呼ばれるようになったのである。

ディオゲネス・ラエルティオスは「ギリシャ哲学者列伝」の中で、ディオゲネスと犬を結びつける愉快な挿話を紹介している。(以下岩波文庫版参照)

アレクサンドロスがあるときディオゲネスの前に立って、「余はアレクサンドロスだ」と名乗ったところ、ディオゲネスは「俺は犬のディオゲネスだ」と答えた。「何故犬と呼ばれるのか」とアレクサンドロスが尋ねると、ディオゲネスは答えた。「ものを与えてくれる人たちには尾をふり、与えてくれない人たちには吠え立て、悪者どもには噛み付くからだ。」

また、ある人たちが宴席で、まるで犬にでもやるように、ディオゲネスに骨を投げ与えた。するとディオゲネスは彼らに対して、ちょうど犬がするように、小便をひっかけた。

ディオゲネス・ラエルティオスはさらに、次のような逸話を紹介している。プラトンが「人間とは二本足の、羽のない動物である」と定義して、好評を得ていたとき、ディオゲネスは鶏の羽をむしりとって、それを提げてプラトンの教室に行き、「これがプラトンのいう人間だ」といった。それ以来、プラトンの人間についての定義には、「平たい爪をした」という語句が付け加えられた。

これらの逸話から伺われるように、ディオゲネスといえば皮肉屋という印象がつき物である。キュニコスの英語的表現である「シニカル」という言葉が「皮肉」を意味していることからもわかるであろう。

だがディオゲネスの思想の本来の目的は皮肉だったわけではない。ディオゲネスが追い求めたものは人間の徳であった。この徳と比べれば現世の財貨は問題にならない。人間は欲望から開放されて、徳と道徳的な自由を求め、財貨に無関心であれば、あらゆる恐れを免れ、真に自由になることができる。

ディオゲネスはこの考えを、師匠のアンティステネスから学んだ。アンティステネスはソクラテスの弟子で、プラトンより20歳ぐらい年長だったとされる。彼は若い頃にはソクラテスの説いた弁証法的な知に真髄していたようだが、しだいにそこから遠ざかって言った。

ソクラテスの言う知識に何の意味や力があるというのだ、およそ知りうるものは、普通の人々にも知ることができる。困難なことは徳を身につけることなのだと考えるに至ったのである。

徳は安易な生活からは育たない。自分に厳しい掟を課し、それを実践することを通じて始めて徳は養われる。それで彼は、贅沢を軽蔑し、「快楽を楽しむよりは、気違いになったほうがましだ」ともいった。

ディオゲネスは師のこうした教えを実践するために、あらゆる快楽を軽蔑し、犬のように生きようと決心したのであろう。彼は宗教をはじめ日常の礼儀に至るまであらゆる因習を否定して、自由に生きようとした。そしてその自由の中に、人間にとっての真のあり方と、それにもとづく徳を実践しようとしたのであろう。それはだから、きわめて個人的な関心に根ざしたことだったといえるのである。

自由人としてのディオゲネスの人柄を物語る有名な逸話がある。彼は日頃より杖を手にして托鉢層のように歩き回り、物乞いをして暮らしながら、大きな桶の中で身を休めていた。ある時アレクサンドロスが桶の前に立ち、何か欲しいものはないかと尋ねた。するとディオゲネスは「日差しを妨げぬように、そこをどいてもらいたい」とのみ答えた。

ディオゲネスは90歳近くまで生きたといわれる。一説によれば、彼は自分の生涯を自ら閉じようと思い、自分で息をつめて死んだとされる。ディオゲネス・ラエルティオスは、ケルキダスが書いたとされるディオゲネスのための挽歌を紹介している。

  かつてはシノベの住人たりし人
  杖を携え、上着を二重折りにし
  霞を糧としたるかの人は、今はもはやその姿なし
  いな、かの人は、ある日
  唇を歯に固く押し付け
  息を詰めて、天高く昇りたるなり
  まことに汝は、ゼウスの子にして
  天の犬にてありければ(岩波文庫から)

ディオゲネスはつねづね、人生を生きるためには、理性をそなえるか、それがかなわなければ首をくくるための縄を用意しておかねばならぬといっていた。彼が首をくくらずに死んだのは、自分の人生にある程度満足したからかもしれない。




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