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華夷思想と国家理性:丸山真男「近代日本思想史における国家理性の問題」


「国家理性」の概念は、マイネッケが「近代史における国家理性の理念」の中で展開したものだ。それには、支配者が被支配者を支配・統合するための行動理念という側面と、国家の他の国家に対する場合の行動理念という、二つの側面があるが、丸山真男はそのうち、近代国際社会における、国家間の関係を律する行動理念としての側面を強調して、「近代日本思想史における国家理性の問題」という小論を書いた。(未完結ではあるが)

徳川時代には、対外的には鎖国、対内的には領邦分国体制をとっていたわけだから、日本人には二重の意味で、国家の観念が不足していたわけである。対内的には天下と言う観念はあっても、国家と言う観念はなかったし、対外的には、国家間の自由で平等な関係という考えが浮かぶはずもなかった。それ故、幕末に外国の圧力に接した時、攘夷思想が多くの日本人をとらえたが、その背景には伝統的な華夷思想が働いていた。華夷思想とは、己を中心とし、外国を夷狄とみなす、自己中心的な考え方であるが、これにこだわっている限りは、近代的な国家にはなれない。そこで、日本人がこの華夷思想をどのように克服し、近代的な国家観念、すなわち国家理性の理念を獲得していったか。そのことについて丸山は、この小論の中で触れているわけである。「触れている」というのは、この小論が未完結に終わったこともあって、体系的に展開するまでに至っていないからである。

幕末の攘夷思想は、西洋列強の圧倒的な力を前にして、もろくも崩れ去った。もはや古臭い華夷思想を振りかざして、独りよがりなことを言っている場合ではない。日本を近代国家に作り替えて、西洋列強に伍していけるようにならない限り、日本は中国のような運命に陥るだろう。こうして、西洋的な意味での近代国家の概念と、それらの国家からなる国際社会という概念が、当時の人々の前に、獲得すべきものとしてたち現れた。そして日本人は、この課題に一定程度応えることができた。その結果として、近代国家に生まれ変わることができた。それに対して中国の方は、相変わらず華夷思想の呪縛から自由になることができなかった。日中両国の命運を分けた理由の一端はここにある。そう丸山は考えているようである。

幕末・維新期の知識人のうち、まず儒學の影響を受けていた人々が、国際社会という概念を受け入れた。それは、朱子学のなかにあった「天道」の理念が、西欧的な自然法の理念と似通った内容をもっていたからだ、と丸山はいう。これに対して、そうした抽象的な理念が苦手であった国学にあっては、西欧的な自然法の概念は生まれてくる余地がなかった。国学はあくまでも、具体的人格としての皇祖神及びその血統をつなぐ天皇のうちに、すべての権威の源泉を求めるからである。いずれにしても、儒学・国学どちらからも、十全な意味での近代国家の概念と、主権国家からなる国際社会という概念はなかなか育たなかった。そうした概念を本格的に日本人に与えたのは、洋学者の一団であり、とりわけ福沢諭吉はその代表格ともいえる存在だった、と丸山は結論付けるのだ。

福沢諭吉の特徴は、個人の間の関係と国家相互の関係とを絶えずパラレルに論ずることである。「一身独立して一国独立す」という有名な言葉が物語っているように、両者がともに、平等と相互性の原理で貫徹されている。こういう考えは、朱子学からも国学からも決して生まれてはこない。

ところで、中国は何故華夷思想から自由になれなかったのか。丸山はこの小論のなかでは詳述していないが、たとえば李鴻章の言動のなかには、華夷内外の上下差別的秩序観が地球規模に拡大した形で反映されており、そのことが、合理的な言動を著しく妨げたという趣旨のことを言っている。

筆者などは、中国人の中に流れている華夷思想の脈絡はいまだに生きていると感じることがある。たとえばチベットについてみれば、中国はチベット併合の根拠を歴史的な冊封関係に求めているが、これこそ華夷思想にもとづく近隣諸国との関係なのだ。チベットは歴史的に中国に対して臣下の礼をとってきたのであるから、中国がチベットを併合するには、合理的、倫理的な正統性があるという理屈である。

同じ理屈は、ときによって沖縄にあてはめられることもある。沖縄も歴史上中国に対して臣従し、中国は沖縄には冊封の立場をとってきた。したがって中国は沖縄に対して、チベットと同じ行動をとる合理的な理由がある。つまり沖縄を併合する正当な理由を持っている。日本人にとっては、乱暴極まりない屁理屈に聞こえるが、中国人にとっては、華夷思想からの必然的な帰結なのである。

これは、筆者の勝手な妄想であって、丸山のいっていることではない。丸山自身は、この小論の補注のなかで、自分が何故マイネッケの持ち出したこの概念に強い衝撃を受けたかについて語っている。

マイネッケは、ビスマルク時代までのドイツと、(第一次大戦時の)軍国主義ドイツとを対比させて、国家理性の理念が変容していく中で、いかに狭あいな愛国心が支配するようになり、結局は国家の破滅をもたらしたかについて語っていた。それを読んだ丸山は、明治前半期の国権論と、1930-40年代の「皇国日本」の使命論との対比として、ドイツの失敗が我がことのように映ったというのである。




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