知の快楽 哲学の森に遊ぶ
HOMEブログ本館東京を描く英文学ブレイク詩集仏文学万葉集漢詩プロフィール掲示板


フランシス・ベーコン Francis Bacon


フランシス・ベーコン Francis Bacon (1561-1622) は、近代的な帰納法の創始者として知られている。また学問を確固たる実証の手続きによって基礎付けようとした点において、近代科学の精神を体現した最初の思想家であったということができる。その人物がイギリスに出現したことの意味も大きい。イギリスはベーコンの業績を踏まえ、以後経験を重視する学問が栄えていくのである。

ベーコンはシェイクスピアとほぼ同時代人で、イギリスルネサンスの最後の世代に属する。エリザベス女王には好かれなかったが、ジェイムズ王の時代になるとその愛顧を受けて、1618年には大法官にまで上り詰めた。しかし収賄事件に巻き込まれて有罪の判決を受け、公職から退かざるを得なかった。この時代裁判官が賄賂を受け取るのは希なことではなかったというから、彼は収賄ということよりも、党派争いに敗れたのだという見方もされている。

晩年の数年間は、もっぱら実験や著作をして過ごしたが、或る時鶏に雪を詰めて冷凍技術の実験をしているうち悪寒にかかり、それがもとで死んだ。いかにも実験科学者ベーコンらしい死に方である。

彼の有名な格言「知は力なり」は、1597年に出版した「瞑想録」の中で書いている。しかし彼の最も重要な著作は、「学問の進歩」(1605) と「ノヴム・オルガヌム」(1620)である。

「学問の進歩」の中で、ベーコンは学問についての批判的な研究を行なった。その眼目は、アリストテレス以来支配的であった、目的によって事物を説明することを廃し、あくまでも経験的な智恵を重視しようとする点である。この経験的な智恵をもたらすのが、個々の事物から普遍的な法則を導き出す帰納法なのであるが、その詳細についての議論は、「ノヴム・オルガヌム」の中で展開している。

ベーコンは人間の知の中で合理的な知を扱う哲学について、それを神学、自然哲学、人間哲学に分類し、その中で神学と自然哲学との関係についてかなり立ち入って考察している。彼は神の存在は理性によって証明できると考えていたが、神学におけるほかのすべての部分は啓示によってのみ説明できるとした。これに対して自然哲学は啓示とは無縁の学問であり、あくまでも理性によってのみ基礎付けられねばならない。

このように彼は当時まで一般的だった、神学と自然哲学との混交を廃し、両者の領分を厳しく分離したのであった。その上で自然哲学すなわち新しい学問を、理性とその根拠をなす経験にもとづかせようとしたのである。

ベーコンの学説の中で最も重要なのは、帰納法にかかわるものと、「イドラ」と彼が呼んだ人間の認識を曇らせる偏見にかんする部分である。彼はこれらを「ノヴム・オルガヌム」の中で詳細に議論している。

ベーコンは「知は力なり」といったが、それは知によって人間は自然を征服し、世界の主人になれるという意味を内包していた。人間は空虚な議論によってではなく、科学的な発見や発明を通じて視野を拡大し、また自然を征服する手段を身に着けていく。この発見や発明を可能にするのが帰納的な知なのである。

ベーコン以前の帰納法の議論にあっては、「単純枚挙による」帰納法というもののみが知られていた。だがこれでは、確実な法則はもたらしえないとベーコンは考えた。単に事実を枚挙するだけでは、そこに漏れが生じることを排除できず、したがって法則の普遍性も担保できないからだ。

ベーコンはもろもろの事象からまず一次的な法則を立て、それらを相互に結びつけることで高次の法則へと進み、さらにその法則を事実に適用することによって、その確実性を実証する手続きを考え出した。その過程で、個々の事実のうち法則の実証性に重要な役割を果たす事実を「特権的事例」として特別に取り出し、帰納法の手続きをより効率的で、確かなものにしようとした。

だがベーコンは帰納法を重視するあまり、演繹法の持つ意味については余りにも軽く考えていた。今日の科学理論の成果によれば、帰納法が威力を発揮するのは、そこに仮説を立てて、その確実性を実証する過程が介在することによってである。この仮説とはベーコンの言う法則のことであるが、法則を立てるには演繹の手続きが欠かせないのである。

ベーコンは演繹を軽視するあまり、数学に対しても敬意を払わなかった。数学とはある意味で演繹の思考過程とよく似ている。数学なくしては、高度な仮説をたてることは困難である。こんなところにベーコンの帰納法の限界があるといえる。

ベーコンがあげた「イドラ」には、「種族のイドラ」、「洞窟のイドラ」、「市場のイドラ」、「劇場のイドラ」がある。いづれも人間の合理的な認識を妨げる偏見であって、これらにとらわれることなく真に開かれた精神をもって事象に当らねばならない、それがベーコンのいいたかったことだ。





前へHOMEルネサンス期の哲学次へ








作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2007-2008
このサイトは、作者のブログ「壺齋閑話」の一部を編集したものである