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自己と他者


前稿で広松渉に言及した際、他者の問題に触れた。広松の場合、他者の問題は間主観性という形で取り上げられていた。間主観性というのは、複数の人間の間のコミュニケーションから生まれて来る関係をいう。その関係から、人間の認識の枠組みとなるものが生まれて来ると考える点で、広松の間主観性の議論は、人間の認識の社会的起源を強調したものだった。人間は、その本質的なあり方において社会的な存在だとするわけである。

西洋の哲学の伝統においては、他者の問題は長い間アポリアだった。デカルトが哲学の領域を人間の意識に閉じ込めて以来、他者はその意識を通じてしか接近できなくなったわけだが、他者というものは本来、私の意識からはみ出たものなのである。そのはみ出たものを、私の意識はどのようにして知ることができるのか。

西洋哲学における他者の捉え方にはいくつかのタイプがある。最も正統的といえるのは、私の意識から出発して他者に接近すると言うものである。これは、他者を私の延長として捉えるものだ。私とは意識をもった存在者であるが、その私と同じような存在者が存在する。その存在者である他者は、私と同じように意識をもち、私と同じように考えたり、振る舞ったりするに違いない。その他者の内面を私が知ることは出来ないが、私は彼を私と同じようなものと考える限りで、私のあり方をその他者に投影することができる。他者とはもうひとりの私なのだ。この捉え方によれば、他者はあくまでも私によって構成されたものである。他者は自存する存在ではなく、あくまでも私の相関者にとどまる。

他者はもう一人の私という考え方を最もスマートな形で表現したのはライプニッツであった。ライプニッツは、世界というものは私の意識の中に集約できる、私の意識のなかに写し出された世界、それが私にとっての世界である、と考えた。しかし私と同じような他者が世界には大勢いる。それらの他者もまた私と同じように彼自身の世界を持っているに違いない。私にしろ、他者にしろ、それぞれが自分に固有の世界を持っているのだ。それら個々の世界をライプニッツはモナドと呼んだ。私を含めたすべてのモナドを集約すれば、それが世界の全体に匹敵するはずだ。そうライプニッツは考えたのである。これは世界を表象の全体として捉える点で、究極的な観念論といえるが、ライプニッツのスマートなところは、その観念論を私一人の意識に限定するのではなく、私を含めたすべての人間の意識の総体だとすることで、狭隘な独断論に陥ることを避けたことだった。

フッサールは他者を、もっと自立的なものとして捉えようとした。たしかにライプニッツは、私と同等の権限を持ったものとして、他者のモナドを考案したのだったが、そのモナドは私のモナドとは何らの関係も持たず、それぞれ自立した存在だった。しかし、自立してはいるが、相互に関係がないことで、いわば大勢の私がいることとなり、私にとって他者が持つ意味はほとんど重要な意義をもたなかった。フッサールは、他者にも私に劣らず重要な意義を与えるとともに、その他者と私とがどのような関係を結んでいるかについて、思索をめぐらした。

フッサールは、私が住みついているこの日常世界には、すでにして他者もまた住みついていると考えた。その他者は、ただたんに日常世界に住みついているだけではなく、私の生き方、とくに精神の働きに重要な影響を及ぼす。デカルトにあっては、対象の認識は私の意識の中だけで完結していた。しかし、私の認識は常に正しくなされるとは限らない。錯誤があるかもしれない。その錯誤を私はどのようにして知るのか。多くの場合には、他者からの指摘によってである。他者が、私の認識が彼の認識と異なっていると指摘する。その指摘を受け止めることで、私は自分の認識が正しかったかどうかについて反省することができる。このプロセスから浮かび上がって来るように、他者はただ何となくそこにいるのではなく、私の思考や行動に深いかかわりをもち、ある場合には私の思考や行動を強く制約している。そのようにフッサールは考え、他者は私にとってかけがいのないパートナーと認めたわけなのであった。

ハイデガーもまた、私が投げ出されているこの世界に、他者がすでにして住みついていると考える点ではフッサールと同様である。私は自分が住みついているこの世界について、存在了解をしているのであるが、その存在了解のなかに他者も含まれる。その他者をハイデガーは共同現存在と呼んで、その他者と私とのかかわりあいについて示唆するのであるが、ハイデガーの他者は、フッサールの他者とくらべて、私にとってもつ意義が大きいようにも思われない。たしかにハイデガーは、西洋哲学にとって長年のアポリアである他者の問題を、世界内存在としての私の、世界についての存在了解のなかに位置付けることで、他者を正面から議論できる土台は用意したのであるが、その他者がどれほど自立したものか、疑問である。というのも、ハイデガーにおいては、世界が私にとっての道具連関のなかで、配慮の対象として現われるのとパラレルに、他者は私にとっての顧慮の対象として現われるに過ぎない。他者は基本的には、私にとっての対象的存在にとどまるわけである。

他者を私にとって対象的な存在として、すなわち私に相関的な存在として捉えるのではなく、私とは完全・絶対に隔絶した存在として捉えたのはレヴィナスである。レヴィナスの議論はかなり輻輳しているが、それは他者のイメージに神のイメージを刷り込んでいることからくるので、レヴィナスの他者論はかなり神学的な匂いがする。それを脇へ置くと、レヴィナスの他者は私に依存することがない。かえって私が他者に依存している。私の存在は他者のために身を捧げることで、初めて意味を持つのだ。私があって、そのあとから他者が来るのではない。他者は私に先立ってこの世界に到来したのである。私のほうがこの世界に遅れてきたというのがレヴィナスの主張の根本だが、それには私が神によって作られたとするユダヤ神学的な発想を哲学的に表現したというようなところがある。レヴィナスの他者は神のイメージだけではなく、私とは別の人間、私の隣人をさすこともあるが、肝心なところでは神のイメージに支えられている。このように、神のイメージに訴えざるをえないところに、レヴィナスの他者論の限界があるように思われる。

以上に触れたいくつかのタイプの他者論に比べると、広松渉の他者論はかなりわかりやすくできている。それは、人間は社会的な生き物だという当たり前のことを、スマートな形で述べたものだ。デカルトに始まり、ハイデガーを経てレヴナスにいたるまで、西洋哲学の伝統においては、他者は自己から見られる位相において問題として取り上げられて来た。自己から出発して他者に到る、というのが西洋哲学の変わらぬ伝統でありつづけた。それに対して広松は、社会から出発して、その中に個人を位置付けるようなやり方をとっている。個人は、自分一人で生きているわけではなく、社会の一員として生きている。というか、社会の関係の網の中に、個人は産み落とされ、その網のなかで育ってきたのであるし、網が取り結ぶしきたりを自分のものとして内面化し、それを通じて世界を受容し、また世界に働きかける。そのように広松は考えたわけで、これは西洋哲学の伝統に完全に染まっていない日本人の広松だからこそのことであったのだろうと思う。




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