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メルロ=ポンティのレヴィ=ストロース論


「シーニュ」所収の文章「モースからクロード・レヴィ=ストロースへ」は、メルロ=ポンティによるレヴィ=ストロース論である。これをメルロ=ポンティは、モースの「贈与論」の英訳を記念して書いたのであったが、その趣旨は、構造主義的な社会学への共鳴を示すというものだった。メルロ=ポンティは、実存主義者を自認したことはあったが、自ら構造主義者と名乗ったことはなかった。だが、彼の思想には、レヴィ=ストロースに通じるような構造主義を思わせることろがあった。それは「知覚の現象学」の中で、ソシュールの言語論にたびたび触れていることにあらわれている。レヴィ=ストロース自身は、民俗学のフィールド・ワークから入ったのであって、かならずしもソシュールの徒ではないが、ソシュールの構造主義的言語学と共通するような考えをもっていたとはいえる。

レヴィ=ストロースといえば、痛烈なサルトル批判が有名である。かれは「野生の思考」の中で、サルトルの歴史主義を批判し、それにサルトルが応じて論争になったのだったが、その論争の勝者はレヴィ=ストロースのほうだったと広く認識された。じっさい、レヴィ=ストロースは、その後の構造主義の流行に乗る形で一躍時代の寵児になったのに対して、サルトルは次第に顧みられなくなっていったのである。

レヴィ=ストロースのサルトル批判は、サルトルのマルクス主義的な歴史観に向けられたものであって、その実存主義思想に切り込んだものではなかった。だからサルトルは、その論争にたいした意味を認めず、「レヴィ=ストロースはただの反動だ」といって切り捨ててしまったのだったが、レヴィ=ストロースのほうでは、サルトルを批判したことで、マルクス主義的な歴史観を否定するのに成功したと思い込んだようだ。

レヴィ=ストロースとサルトルの論争を、メルロ=ポンティは目撃していない。論争が起きたのは、「野生の思考」が出版された1962年のことであり、メルロ=ポンティはすでに死んでいたからである。だから、このレヴィ=ストロース論は、サルトルとの間の論争には関係なく、構造主義的な考えを共有するものへの応援というような体裁をとっている。二人は個人的にも仲がよかったようだから(年齢も同じ)、ひとしお共感を抱いたとしても不思議ではない。

メルロ=ポンティのレヴィ=ストロース理解は、おもに「親族の基本構造」で展開された親族の構造に関する理論とか、「悲しき熱帯」におけるフィールド・ワークの精神をもとにしたものである。それをかれは、歴史主義的に継時的に見るのではなく、同時代を共通の地盤として共時的に見た。つまり、西欧的な文明社会と「新大陸」の「原始的」な社会は、歴史的・継時的に発展段階の異なったものとしてではなく、共時的な比較における構造の差異を現わしているのであって、その差異はけして、価値の差ではなく、両者は平等にみられるべきだというのが、構造についてのメルロ=ポンティの見方であり、その見方をレヴィ=ストロースも共有しているはずだと、メルロ=ポンティは考えたのである。その点では、野蛮と文明との間に発展段階の相違を認めたサルトルとは両者ともに対立関係にあったというべきだろう。その対立は、サルトルが生きている間には尖鋭化せず、かれが死んだ後で、レヴィ=ストロースがサルトルを批判するという形で表面化したわけである。

構造についてメルロ=ポンティは次のように言う。「この立場では、社会の一領域ないし社会全体のなかで交換が組織されるその仕方を<構造>と呼ぶことになるだろう。社会的事象とは物でもなければ観念でもなく、構造である」(木田元訳)。この構造は言語と同じく客観的な性格をもっているが、しかしその客観的なものは人間の主観を通じて実現される。つまり構造とは、メルロ=ポンティによれば、客観と主観との相互作用の上に成立するものなのである。そうした構造の特徴は、文明社会においても未開社会においても異なるところはない。これらは発展段階を異にした全く違ったシステムではなく、共時的に比較されるような相対的なものでしかない。だから、たとえば精神分析学は未開社会の神話に通じ、精神分析家はシャーマンとみることができるのである。

このことをメルロ=ポンティは次のように言い換えている。「(構造主義的)人類学にとって問題は、未開人を打ち負かしたり、あるいはわれわれに対してかれらを擁護したりすることではなく、われわれ両者が相互に理解しあえるような地盤に、還元も無謀な転移も行わずに身を据えることなのである」。

以上、構造についての一般的な概括をしたあとで、その構造主義の主たる担い手である人類学(レヴィストロースによって代表される)と哲学との関係について、メルロ=ポンティは次のように述べる。「人類学にあって哲学者の関心を惹くのは、人類学が人間をそのあるがままに、生活や認識の実際の状況のなかで捉えるというまさしくこの点なのである。他方、人類学者が関心を持つ哲学者とは、世界を説明したり構成したりしようとする哲学者ではなく、われわれをますます深く存在に帰入せしめようと試みる哲学者である」。

この言葉から連想されるのは、メルロ=ポンティが自身の哲学の実存主義的側面と人類学の人間的な側面とを融合しようと試みたということであろう。だが、レヴィ=ストロースにはそのような思惑はなかったのではないか。かれは、あくまでも科学としての人類学を目指したのであって、なにもそれを哲学的な存在理由で飾ろうなどとはまったく思っていなかったはずである。




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