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パイドン読解その八


以上で魂の不死・不滅についてのソクラテスの証明は終った。この証明を、21世紀の日本人である小生はなかなか受け入れがたいのであるが、紀元前399年にソクラテスの死に立ちあったギリシャ人たちは、納得した様子である。その彼らに向かってソクラテスは最後に、自分の魂が肉体を離れたあと、どのようになるのかについて語り掛ける。それは当時のギリシャ人の抱いていた神話的な考えのように聞こえる。この神話をソクラテスは、後に「パイドロス」の中で詳細に展開して見せるのだが、ここではそのさわりというべきものが語られる。

それによれば、人にはそれぞれダイモンがついていて、生きている間その人の世話を焼いているのであるが、その人が死ぬとある場所へ連れていく。それは裁きを受けるためである。その裁きに応じて、ハデスに赴いた後相応の試練・待遇を受け、定められた期間が立つと、別のダイモンがその者をこの世へと連れ戻す。つまり死から再生するわけだ。この死と再生は、長い期間にわたって何度も繰り返されるとソクラテスはいうが、その詳細については言及していない。そこで「パイドロス」における死と再生のサイクルについて、参考までに見ておこう。

「パイドロス」によれば、人は最終的には神々の住む聖なる場所へと招かれるのであるが、そう言う人は極めて少ない。つまり死後すぐに行けるような人は少ないということだ。大体の人は、死後煉獄のようなところで試練を与えられ、千年経った時点で再びこの世に連れ戻される。それを十回繰り返し、一万年たつと、その人には翼が生えて来て、神々の住むところへと昇っていける、というふうに語られていた(「パイドロス」のほうが後に書かれたので、語られることとなる)。

そこでソクラテスのいうハデスのことであるが、これはあの世ではあるにしても、現世と全く異なった空間とは考えられていない。現世の延長上にあるものとして考えられている。当時のギリシャ人の天文学的な知識は限られたもので、地球についてのイメージもあまりはっきりしたものではなかった。それでも、ギリシャ人が生きていた地中海周辺以外にも世界は広がっており、その一部にハデスがあると考えていたようだ。というより、世界全体は想像を絶するほど広大なのであり、その広大な空間の一部が我々人間の住む場所なのだと考えたのである。我々の視野は非常に狭いので、自分が生きている空間こそが世界の中心のように思っているが、それは近視眼のもたらす誤解であって、広い世界のほんの一部に過ぎない。我々は死ぬと、その狭い空間たるこの世から出て、広い空間たるハデスにいくというふうにイメージされていたようなのだ。

この広大な世界のイメージを、「パイドン」におけるソクラテスは縷々として語っている。それは大地と天空から成り立っていて、大地の一角に我々が住んでいるこの世がある。また大地の底には巨大な川が流れていて、我々はそれをタルタロスと呼んでいる。タルタロスは地上のすべての水が、最後に流れ着くところである。タルタロスは恐ろしい場所で、そこに投げ込まれたら二度と出て来ることはできない。生前悪逆な行為をしたものは、そこへ放り込まれるのである。別の人びとは、それぞれの行いに応じて、ハデスでの試練を受ける。ソクラテス自身は、タルタロスへ投げ込まれる恐れはもっていなかったようだ。でなければ、自分の死を呪ったことだろう。彼は、自分が死後ハデスに赴き、そこで自分に相応しい待遇を受けられることを宛にしていたのである。

ともあれ我々は、というより我々の魂は、ハデスに行ってどのような生き方をするのだろうか。少なくとも一度死ぬと、ハデスに千年は留まらねばならない。その長い期間、いったいどのようにして過ごすのであろうか。基本的には生前の暮らしの延長のようなものとして考えられていたようだ。「魂がハデスに赴くにあたって携えていくものは、ただ教養と自分で養った性格だけである」。その教養と性格で以て、長いハデスでの暮しをしのいでいくわけである。

そうこうしているうちに、夕刻が迫って来た。掟によって、刑の執行は夕刻になされるのである。そこでソクラテスは、死に先駆けて沐浴したいと言う。沐浴してから毒を飲むことで、女達に死体を洗う手間をはぶいてやろうというのだ。

そんなソクラテスにクリトンは、なにか言い残すことがあるかと尋ねると、ソクラテスは、いつも言っていることだけで、新しいものは何もないと答える。クリトンが埋葬の仕方について、ソクラテスの意見を行くと、ソクラテスは憤然として、君が思っているソクラテスとは、すこし後で死体として眺められる者のことだといい、本当のソクラテスは、死体としてのソクラテスではなく、魂としてのソクラテスだという。魂としてのソクラテスは、この世から立ち去った後、浄福な者たちのもとへ行くのだ。だから自分は全く死を恐れない。それどころか、ハデスでの暮しを楽しみにしているのだ。だからクリトンは、僕を埋葬するとは言わず、僕の躰を埋葬すると言うべきだ。そうソクラテスは言って、強がって見せるのである。

ソクラテスが沐浴を終えると、三人の息子たちと「身内の女の人たち」が別れにやってきた。「身内の女の人たち」というのは、クサンチッペともう一人の妻のことだろう。彼女らとしばし語りあったのち、ソクラテスは彼女らを家に返し、自分は仲間たちのもとへやってきた。すると刑務委員の下役が来て、ソクラテスの冷静な態度を褒め、そろそろ毒を飲む準備をするようにと促す。それが彼の役目なのだ。

クリトンが毒を持ってくるように下僕の子に命じると、下僕の子はややして毒薬を与える役目の男を連れて来た。男はソクラテスに毒をわたし、服毒の方法を教える。毒を飲んだ後、足が重くなるまで歩き回ればよいというのである。そうすれば毒が自然ときいてくるから。ソクラテスが毒を飲み干すと、周りにいたものは皆泣き叫んだ。それを見たソクラテスは、「きっとこんなことになりはしないかと、女たちを家へ送り返したのだよ。こういう醜態を演じないためにね。というのは、人は静寂のうちに死ななければならない、と僕は聞いているからだ。さあ、静かにしてくれたまえ。我慢するのだ」と言う。

毒を飲んだ後、ソクラテスの躰は、方々が冷たくなっていった。そして下腹部が冷たくなった時に、顔を覆っていた布を取り払って最後の言葉を述べた。それは、「クリトン、アスクレビオスに雄鶏一羽の借りがある。忘れずにきっと返してくれるように」というものだった。はかにも何か言いたいことはないかとクリトンが問いかけると、ソクラテスは何も答えなかった。そして少したってから、躰がぴくっと動いたので、顔の覆いを取り除けると、目がじっと座っているのだった。それを見てクリトンは、口と目を閉じてやったのである。

パイドンは言う、「これが、エケクラテス、我々の友人の最期でした。我々の知りえたかぎりでの当代の人びとのうちで、いわば、もっとも優れた人の、そして、特に智慧と正義においてもっとも卓越した人の、最期でした」と。




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