知の快楽 哲学の森に遊ぶ
HOMEブログ本館東京を描く英文学ブレイク詩集仏文学プロフィール掲示板


近代日本の右翼思想


日本の政治が急に右傾化したというので、右翼思想というものに関心が集まっているそうだ。右翼思想というと、北一輝や井上日召などがまず浮かび上がってくるが、その彼らがいったいどのような主張をし、それを今日の右翼勢力がどのように受け継いでいるのか、誰しも興味ある処だろう。そんな興味に応えようとした本がある。片山杜秀著「近代日本の右翼思想」だ。

この本がカバーしているのは、主に昭和初期だ。つまり戦争の時代である。その時代の日本に、さまざまな右翼思想が百花繚乱といった具合に花開いた。そうした思想の互いに共通するところと相違するところをあぶりだすことによって、この時代の日本の右翼思想の特質を解明しよう、というのがこの本の目的である。

近代日本の右翼思想の最大の特徴は反知性主義だ、と著者は考えているようだ。北一輝のように精々彼なりの知性を発揮して世の中の改造を追求した思想家がいないでもなかったが、それは少数派で、大多数の右翼思想家は、世の中なんて簡単に変えられるものではないから、余計なことを考えるのはやめよう、むしろ頭で考えることは有害でさえある、人間と云う者は頭などなくとも、身体だけで生きていけるのだ、どうもそのように考えているフシがある、というのだ。

反知性主義は、近代日本の右翼だけの専売特許ではない。ナチスもファッショも反知性主義と云う点では、日本の右翼より徹底している。しかしナチスやファッショが反知性主義を民衆操作の道具として使ったのに対して、日本の右翼は自分自身が反知性的な人間であろうと努めた、というところに違いはある。

近代日本の右翼の次に大きな特徴は、現在至上主義的発想だという。これは日本の右翼が伝統的に天皇を中心にしてものごとを解釈するという傾向に根をもっている。他の国の場合、右翼は過去を賛美して現在を批判し、左翼はあるべき未来像を基準にして現在を改革しようとするのに対して、日本の右翼が現在をそのままで賛美するというのは、そこに天皇が存在しているからだ。天皇を中心に成り立っている現在はそれだけでも素晴らしい世の中だ。もし、そこに不具合なことが生じるとしたら、それは素晴らしい現在の秩序を乱そうとする不逞の輩がいるせいだ。だからそうした輩を根絶やしにして、現在を永遠にすばらしい世のあり方にしていかねばならない。日本の右翼はそう考えるというのである。

そもそも日本人が歴史意識に欠けていたことは、丸山真男がつとに指摘していたところである。日本人と云うものは太古の昔から、世の中というものについて独特の捉え方を持っていた。世の中と云う者は、人間が意図的に作り出すものではなく、勢いのままになりゆくものである。そこには人間の手が介在する余地はほとんどない。人間の意思を超えて自然となりゆくのである。そうした観想のあり方にとっては、過去が規範として作用することはなく、未来が理想として働くこともない。ただただ現在があるのみなのだ。

こうした考え方は何も右翼だけに限ったことではない。丸山に言わせれば日本人全体がそう考えている。日本人と云うものは太古の昔から現在至上主義者だったのである。

ところで著者は、この現在至上主義と云うものについて、カール・マンハイムの説を引き合いに出して、それこそファシズムだと指摘する。マンハイムによれば、ファシズムとは歴史意識を排除して現在の秩序を神聖化しようとする運動だということらしい。

しかしそう言われると、日本人は、右翼だけではなく国民全体がファシストであるということになってしまう。そもそも日本人には太古の昔から歴史意識がないのだから。

話がちょっとこんぐらがってきたが、最近の政治状況に右翼化の傾向が強まってきたのはどういうわけなのか。いろいろな要素が働いている事と思うが、一番大きな要因は、国際状況の変化だろう。特に中国の台頭に直面して、日本人は領土問題や安全保障を巡って脅威を感じるケースが増えた。そのことがナショナリズムを煽って、右翼の言動を活発にさせている、という面はあると思う。

維新の会の政治綱領や自民党保守派の動向を見ていると、最大の柱は天皇の復権ということである。自民党の憲法改正案は、天皇を元首として位置付ける一方、その元首をいただく憲法を順守するよう国民に義務付けている。天皇にはその義務はないから、いわば超憲法的な存在に祭り上げられるわけだ。維新の会の石原老人などは、現行憲法は無効だからそれを破棄すべきだといっている。ということは大日本帝国憲法の時代に戻ろうということだ。これらの主張が近代の日本の右翼の天皇中心主義の焼き直しであることはいうまでもなかろう。

こうした言い分を分析すると、今の右翼政治家が過去の或る時点への回帰を目指していることは否めない。彼らは明治憲法体制を賛美し、それを基準にして現在を告発しているのだといえる。その点で彼らは、この本の中で言われていたような、近代日本の右翼思想とは断絶したところがある。というのも彼等は、現在至上主義者ではなく、保守反動の徒といえるからだ。

「反動は過去に反り返って動く」というふうに、この本は定義しているが、まさに今の右翼政治家がやっていることがそれだ。


HOME日本の思想丸山真男論次へ








作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2007-2013
このサイトは、作者のブログ「壺齋閑話」の一部を編集したものである