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シュンペーターの社会理論:「資本主義・社会主義・民主主義」を読む


シュンペーターは動態的な経済理論で知られる。景気循環や経済発展の傾向性を分析した。もともとは、ワルラスの一般均衡論に強い影響を受けたのだったが、それを前提にして経済の動態的な現象を分析したのだった。一般均衡論というのは基本的には静態的な分析手法を用いるのだが、それをシュンペーターは動態的な現象にも適用したのである。かれの動態的経済理論は、ケインズの経済政策理論と並んで、20世紀の経済学を牽引したといってよい。そのケインズの理論を、シュンペーターは停滞主義理論だといって強く批判している。停滞主義理論とは、経済発展(及びそれにともなう社会の変化)を考慮しない理論だという意味である。

経済学の主流は、経済現象を狭い範囲で論じる傾向が強い。ヒックスの理論はその典型で、経済学を純粋に経済的な現象に限定して論じる。それに対してシュンペーターは、経済現象を広く社会全般に関連付けながら論じる。シュンペーターはマルクスの影響も強く受けており、そのマルクスの問題意識を受け継いでいるところがある。マルクスは経済システムを孤立させて論じるのではなく、社会全体のあり方と緊密に結びついたものとして論じた。「資本論」は単なる経済学理論ではなく、社会理論でもあった。そうしたマルクスの方法意識をシュンペーターも共有していたところがある。無論相違はあるが。

「資本主義・社会主義・民主主義」は、シュンペーターの社会理論を集約したものである。この著作は、資本主義はそれに内在する必然的な傾向性にもとづいて、社会主義に転化するという主張を展開したものだ。それが民主主義とどのような関連を有するのかが、付随的に論じられる。民主主義は政治的な概念であり、一方資本主義と社会主義とは経済的な概念なので、それらの間に必然的な関係はなく、どちらかといえば偶然的な結びつきに過ぎないのだが、しかし民主主義は、同時代の人類にとって、それ以外に選択の余地のない政治的システムと捉えられていたので、それが資本主義及び社会主義とどのような関係を結びうるのか、十分に考える必要があるというのがシュンペーターの考えだった。

シュンペーターは、自分は社会主義者ではないと、執拗に断ったうえで、資本主義は好きと嫌いにかかわらず社会主義に転化する傾向性を内在させていると考えた。その点ではマルクスと同様である。マルクスと違うのは、資本主義から社会主義への転化がどのような形で実現するか、そしてその社会主義の内実がどのようなものになるか、そのイメージの具体的な内容である。マルクスは、資本主義の失敗が革命を引き起こし、その結果労働者階級による社会主義システムの樹立が一気に実現すると考えた。それに対してシュンペーターは、資本主義はそれがもたらす広範な社会化(公共的管理の拡大)を通じて、いわばなし崩し的に社会主義へと転化していくと考えた。

また、実現された社会主義の具体的なイメージについては、マルクスはあまり具体的には語っていない。せいぜい労働者階級が主体になった公的管理がシステムを動かすだろうと予見したくらいだ。それに対してシュンペーターは、社会主義システムの内実をかなり具体的にイメージした。それについては、イギリスやドイツで進行している現実のプロセスが、社会主義そのもののあり方を示していると考えたことが強く働いている。かれはマルクスの言うような意味での、労働者階級によるブルジョワの収奪ではなく、したがってドラスティックなプロセスではなく、ブルジョワ階級自身の動きの中から自然に生まれてくるものとして社会主義の実現を考えた。つまり資本主義システムの外部からの力によってシステムを破壊するのではなく、内部からシステムを修正することで、いわばなし崩し的に社会主義化が進行すると考えたのである。

要するに、マルクスが労働者階級の役割に過大な期待を寄せているのに対して、シュンペーターは労働者階級の役割にはあまり期待せず、むしろ資本家階級(ブルジョワ)の役割のほうに注目しているのである。資本主義から社会主義への転化は、ブルジョワ自身が推進させるというのがシュンペーターの基本的な考えである。かれがそのように考えるのは、労働者を、人間のモデルとして低く評価していた為だと思われる。かれは労働組合の進歩性を否定して、むしろ保守的な役割を果たすと見ていたし、また社会主義が労働者を甘やかすことがあってはならないと考えていた。労働者というものは、ふしだらな性向が強いので、放っておくとろくなことにはならない。かれらを働かせるには強制が必要だとも考えていた。その点では、労働者に全幅の信頼を寄せていたマルクスの楽観的な態度とは全く異なる。

シュンペーターは、資本主義から社会主義への転化が不可避なものと見ていたが、だからといって、社会主義を望ましいものと考えたわけではない。むしろ逆で、社会主義のさまざまな特徴を好ましくないものとして見ていた。つまり社会主義については懐疑的な姿勢を崩さなかった。その理由は色々あげられる。マルクスが、基本的には社会主義とその先にある共産主義を、人間性の解放につながるものとして楽天的に捉えていたのに対して、シュンペーターが悲観的なのは、人間性についての見方が異なっているためだと思われる。マルクスは、人間は本来平等であるべきだと考えたが、シュンペーターはそのようには考えない。人間はもともと不平等にできており、能力のあるものが社会をリードすべきだと考えた。かれのイノベーション理論は、社会発展を説明するためのキー概念だが、それは能力の高い人間の自発的な活動を前提にしている。ところが社会主義においては、悪平等がはびこって能力のある人間はやる気をなくし、その結果社会は停滞するようになる。そのようにシュンペーターは考えたのである。要するに、ある種のエリート待望思想を抱いていたといってよい。

シュンペーターが民主主義に対してあまり熱心に見えないのは、かれのエリート主義のためかと思う。かれは民主主義を、政治的決定のためのルールだと定義したうえで、それがルールとしては、資本主義とも社会主義とも結びつきうるとし、その絶対的な性格を否定して、あくまでも手段としての相対的な意味合いしか持たないと主張したのは、かれのエリート主義の現われだろう。民主主義の手続き的性格とか、それの相対性を主張した思想家としてカール・シュミットがあげられるが、シュンペーターにもシュミット的な相対的懐疑主義の傾向は認められる。

シュンペーターがこの本を書いたのは、第二次大戦中から戦後にかけてのことである。その時期は、先進資本主義国において国家の役割が異常に高まった時期であった。経済の領域でも、従来型の自由放任主義的経済システムは否定され、公共管理的なシステムが支配的になってきていた。そこにシュンペーターは、社会主義化への巨大な流れを感じ、それはもはや阻止できないばかりか、むしろ不可逆的に拡大・進行していくに違いないと判断したことには十分な理由があった。いったんシステム化された社会主義の傾向は、怒涛の勢いで進んでいくに違いないと思わせるようなものが、そこにはあったのである。

以下、そんなシュンペーターの社会理論を、「資本主義・社会主義・民主主義」を読み解きながら検討してみたい。使ったテクストは、東洋経済新報社刊、中山伊知郎・東畑精一訳である。



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