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ミシェル・フーコーを読む |
ミシェル・フーコー(Michel Foucault 1926-1984)は、20世紀を代表する思想家の一人である。人間の知の枠組としてのエピステーメーの仮説を展開するとともに、権力が人間を絡め取る過程を明らかにした。また、人間社会のあらゆる道徳には歴史的起源があると主張したことで、ニーチェの思想に現代的な位置づけを与えた。 |
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フーコーは、もともと精神病理学から出発したのだったが、精神病理が単なる個人の精神の異常のみならず、個人と社会との関わり合いを反映したものだという信念に達し、それにもとづいて、「狂気の歴史」とか「監獄の誕生」といった、社会による個人の囲い込みのような現象を解明する研究に没頭していった。 その研究の中から、社会を動かしている原動力のようなものを摘出し、それをエピステーメーと名付けた。フーコーのエピステーメー論は、マルクスのイデオロギー論とかクーンのパラダイム論とよく比較されるが、基本的な部分で違っている。フーコーのエピステーメーはマルクスのイデオロギーに見られるような進歩史観は全く含んでいないし、クーンのパラダイム論が科学の分野に限定しているのに対して、同時代の精神的な領域すべてを含んでいる、といった具合である。 フーコーは、このように社会と個人との接点にもっぱら関心を集中してきたといってよい。ここでは、そんなミシェル・フーコーの思想の特徴を、テクストに沿いながら読み取っていきたい。 |
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