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大杉栄の自叙伝


大杉栄が自叙伝を書き始めたのは1921年の八月、関東大震災の混乱に乗じて甘粕に殺される二年前のことだ。その後、書き上げたものから順に、九月以降雑誌「改造」に発表した。少年時代の追憶に始まって、恋愛関係のもつれから神近市子に刺される1916年(31歳)までのことを書いている。新潟県の新発田における少年時代の思い出と陸軍幼年学校での生活及び女性遍歴が主な内容だ。大杉栄はアナキストだが、自分がどうしてアナキストになったのかという、思想形成の話はあまり出てこない。

大杉栄は軍人の子として生まれた。五歳の時に新潟県の新発田に落ち着いたが、それは父親が新発田の連隊に配属されたことがきっかけだった。この新発田で大杉は、十四歳までの約十年間を過ごした。少年時代の大部分にあたる。少年時代の大杉の思い出は、吃音の性癖のことと女の子たちとの遊びのことが中心だ。吃音は、父親の家系からもらった遺伝的な傾向のようで、そのことで大杉栄はいつも母親からどやされていたようだ。その母親のことを大杉は、「母の一日の仕事の主な一つは、僕を怒鳴りつけたり打ったりすることであるようだった」と回想している。だが、別に母親を恨んでいたわけではなく、むしろ愛していたようだ。

女の子との関係については、大杉栄は幼い頃から女の子に対してませた感情を持ち、また女の子からも好かれたようだ。成人してからの大杉栄の女性遍歴は有名だが、その性向はすでに幼い頃から現れていたということらしい。そんなこともあって、この自叙伝の大部分は、対女性関係についての大杉なりの思い入れからなっていると言ってもいいくらいだ。

大杉栄が十歳の時に、日本は清との戦争に勝った。そのことで日本には熱烈な愛国心がわき起こった。大杉はそうした愛国心の嵐のなかで少年時代を過ごしたといってよい。大杉は父親が軍人だったことで、何の疑問もなく陸軍の幼年学校に入った。当時の幼年学校は、日本にいくつかあり、本籍地の幼年学校に入るという決まりだった。大杉は自分の本籍地にしたがって名古屋の幼年学校に入った。そこで大杉は徹底的に愛国心をたたき込まれたわけだが、生来軟弱なところがある大杉は、軍隊的な規律が性に合わず、入学から二年後に退学している。もっとも退学の本当の理由は、男色事件にあったということになっているが、大杉は自叙伝のなかではそのことに触れていない。

こういうわけで、少年時代の大杉栄は、軍人の家庭に育ち、自分自身も軍人教育を受けたにかかわらず、愛国心には染まらなかった。彼は愛国心とは真逆の無政府主義者として自己を形成してゆくわけだ。その形成過程については、この自叙伝はあまり記すところはない。ただ、十八歳のときに、万朝報を読み、そこで幸徳秋水や堺利彦の書いた文章を読んで、社会問題に関心を持つようになったと書いている。だが彼は、社会主義者にではなく、アナキストになったわけだ。そのわけについては、自叙伝は全く触れるところがない。

幸徳秋水については、大杉栄は特別の思い入れを持っていたようだ。秋水が大逆事件で検挙されたとき、大杉は「赤旗事件」で刑務所に入っていた。もし刑務所に入っていなかったら、自分も秋水と運命をともにしていただろうという趣旨のことを言っている。それは秋水と思想を分かち合うという意味ではなく、生死を分かち合うという意味だ。つまり秋水と一緒に殺されていただろうというわけだが、そんなことをわざわざ言うのは、大杉が秋水に特別の感情をもっていた証拠だと思われる。

自叙伝最終章は「お化けを見た話」と題されているが、書かれている内容は、伊藤野枝及び神近市子との間の三角関係についてだ。大杉栄は、二十代の末頃に、妻帯者でありながら神近市子と男女の関係になったが、その直後に、亭主持ちだった伊藤野枝とやはり男女の関係になった。そのことを神近は嫉妬したが、気位の高い神近は超然たる態度を装って、大杉への金銭的な援助を続けていたりしたのだったが、ついに嫉妬の炎に焼かれて、大杉を刺すに至った。「お化けを見た話」というのは、その顛末を書いたものである。これを読むと、大杉栄が女によくもてたといくことが伝わってくるし、また日本人の男女関係のひとつの典型を見せられるようなところがある。

お化けを見たというその当のお化けとは、自分を刺した神近のことをいうらしい。大杉栄は、神近を憎むのではなく、恐れていたということだろうか。そうだとすれば、女を捨てて悲しい思いをさせたことについての、大杉なりの罪の意識が、お化けという形をとったのだろう。

なお、この話のなかで、大杉が後藤新平から金の無心をする場面が出てくる。大杉は後藤とは何のゆかりもない。その大杉栄に後藤は、初対面にかかわらず気前よく金を与えている。その時代のことだから、右翼が有力政治家から金をむしることはよくあったと思うが、大杉栄のような左翼の活動家がそういうことをするのは珍しかったのではないか。また、そんな左翼の要求に応えて気前よく金を与える政治家というのは、もっと珍しかったのではないか。

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