知の快楽 哲学の森に遊ぶ
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フーコー「言葉と物」


フーコーにとって「言葉と物」は一つの転機を画した仕事といえよう。フーコー自身そのことを自覚していたらしいことは、それ以前の作品と比較して、力のこもった修辞的文体で書かれていることから伺える。この著作の文体は、同時代人たちの饒舌な文体と比べても、過剰と言ってよいほど饒舌なのである。

この著作の中でフーコーが用いている時代区分は、「狂気の歴史」や「臨床医学の誕生」とほぼ同じものである。中世・ルネサンスの時期、17世紀なかば以降の古典主義時代、そして18世紀の末に始まる近代の時期がそれである。「狂気の歴史」では、中世・ルネサンスの時期から古典主義時代への移行に伴って、狂気に対する社会の感受性が劇的に変換したことに焦点を当て、「臨床医学の誕生」では、古典主義時代から近代への移行に伴って、身体を対象とする臨床医学に劇的な転換が起こったことを明らかにしていた。どちらも、狂気および身体の疾患と言う限定された領域内で、それをめぐる感受性や知の枠組みが劇的に変化したことを明らかにしていたわけだが、「言葉と物」は、そうした個別的な領域のうちでの転換にとどまらず、およそ人間の認識全般にかかわる全面的な転換を取り上げた。

狂気について言えば、中世・ルネサンスの時代においては、狂気は社会にとって親しみをもって受け入れられるような存在だった。それが古典主義時代には、排除・監禁されるべきものとなり、その監禁の空間のなかで、かならずしも医学的とはいえない分類的な知の対象となっていた。狂気が心の病として治療の対象となったのは、近代以降のことなのである。このプロセスの背後にあったのは、狂気をめぐる人間の知の枠組みの全面的な変換であった。この知の枠組みが変換することによって、狂気を見る視点に変化が生じたのであり、したがってそれへの人間の関わり方にも変化が生まれた。それと同じことは、臨床医学の分野でも生じたのであるが、それだけにはとどまらない、およそ人間の知とそれの体系化である諸学問は、ある一定の枠組みによって成り立っているのであり、その枠組みは歴史的に変化するものなのだ、というのがこの著作でのフーコーの主張の要点になっている。

この枠組みのことをフーコーは「エピステーメー」と呼んでいる。エピステーメーとは、知識を意味するギリシャ語をもとにフーコーが造語した言葉だ。単純化して言うと、我々の認識を成立させる知の枠組みのことである。我々の認識は、経験から直接的かつ無媒介に成立するわけではない。すべての経験は、我々の側にそなわっている一定の認識枠組みに当てはめられることで、一定の知識として成立する、つまり我々の認識はこの枠組みに媒介されて始めて成立するのだ、ということをこの言葉でフーコーは言っているわけである。

そういう面では、フーコーのエピステーメーは、カントのアプリオリに似ている。カントの場合にも、あらゆる経験的な認識は人間に先験的に備わっている認識の枠組みに当てはめられることで、被媒介的に、間接的な形で成立すると言っていた。カントにあっては、このアプリオリな枠組みは、人間に先験的に備わっていると言う点で、歴史を超越した永遠不動のものであったわけだが、フーコーはこれを歴史的に転変する相対的な性質のものだとした。つまり知の枠組みとしてのエピステーメーは、歴史的に変換するのであり、エピステーメーが変換するごとに、人間の物を見る目は違ってくるのだというのである。そういうことからフーコーはエピステーメーのことを、歴史的アプリオリと呼んでいる。

エピステーメーの相違によって、人間にとって世界がいかに異なった相貌のもとに現れるかについて、フーコーは興味深い比較をしている。この著作全体の序文の中でフーコーはボルヘスのあるテクストを引用するのだが、それはシナのある百科辞典を引用しており、それにはこう書かれていた。「動物は次の如く分けられる。(a)皇帝に属するもの、(b)香の匂いを放つもの、(c)飼いならされたもの、(d)乳飲み豚、(e)人魚、(f)お話に出てくるもの、(g)放し飼いの犬、(h)この分類自体に含まれているもの、(i)気違いのように騒ぐもの、(j)算えきれぬもの、(k)駱駝の毛のごく細の毛筆で描かれたもの、(l)その他、(m)いましがた壺をこわしたもの、(n)遠くから蠅のように見えるもの」(フーコー「言葉と物」序文、渡辺一臣、佐々木明訳)

フーコーはこの引用に続けて、「この分類法に驚嘆しながら、ただちに思い起こされるのは、つまり、この寓話により、まったく異なった思考のエクゾチックな魅力としてわれわれに指し示されるのは、われわれの思考の限界、<こうしたこと>を思考するにあたっての、紛れもない不可能性にほかならない」(同上)と言っているが、要するにヨーロッパ人のエピステーメーとシナ人のエピステーメーとは、相互に理解しあえないほど異なっていると言っているわけだ。だが、それにはそれなりの根拠があることなので、ヨーロッパ人との相違をあげつらって笑いものにするのは大人気ないと言っているわけである。

フーコーら20世紀を生きるヨーロッパ人には、彼らなりのエピステーメーがある。そのエピステーメーによる動物の分類は、ボルヘスが引用したシナ人の分類とは異なっている。両者の間には越えられない理解の溝があるのだ。だがその溝は、現代のヨーロッパ人とボルヘスが引用したシナ人との間にあるばかりではない、現代のヨーロッパ人と古典主義時代のヨーロッパ人との間にも同様の溝がある。古典主義時代のヨーロッパ人は、現代人とは異なったエピステーメーに基づいて世界を見ていたのであり、彼らにとっての世界の見え方は、フーコーら現代のヨーロッパ人とは異なった相貌を呈していた。その相違は、現代のヨーロッパ人とボルヘスの引用したシナ人との相違と変わるものではない。ことほどさようにエピステーメーは、時代や地域(厳密には社会集団)に密着したものなのだ。

このようにフーコーのエピステーメーは、基本的には一定の社会集団を単位にして成立していると考えられている。その社会集団の規模は、一定の幅を許容するようだが、どうやらヨーロッパとかシナとかいった、文明圏のようなものを想定しているようだ。フーコーは、ヨーロッパ人のエピステーメーを論じるときには、たとえばイギリス人とフランス人を区別せずに、ほとんど同じものとして扱っている。

フーコーのエピステーメー論のもうひとつの特徴は、エピステーメー相互間に優劣をつけないことだ。中世・ルネサンスから古典主義時代を経て近代に至るまで、それぞれのエピステーメーが転換してきたわけだが、フーコーはそれを進化とは捉えていない。ただ単に認識の枠組みが変わったことで、世界の見え方が違ったまでだと考えるわけである。同じように、ヨーロッパのエピステーメーがシナのエピステーメーと異なるからと言って、それはヨーロッパのそれのほうがシナのそれよりも高度だと言うことは意味しない。これもただ単に、両者では認識の枠組みが異なるために、世界の見え方が違うというだけの話なのだ。シナ人の動物の分類が現代のヨーロッパ人のものと異なるからとって、それを野蛮だといって笑うことは誰にもできないというわけである。

このような前提に立ってフーコーは、ヨーロッパにおけるエピステーメーの転変というべきものについて、この著作の中で追求していくわけである。それはあくまでも転変であって進化ではない。あるひとつの時代から別の時代に移行するにあたって、人々の認識の枠組みが根本的に変化したことによって、世界の見え方が全く別のものになってしまう、そのダイナミズムを追求するわけである。

エピステーメーは、これを内部に向かって掘り下げて行くと、それ自体が完結し閉じられたシステムとしての相貌を呈する。それは人間の認識枠組みを外から設定するという点で、レヴィ・ストロースの「構造」の概念に似ている。だが、レヴィ・ストロースの構造が歴史的な変化という要素を含まない静的なものなのに対して、フーコーのエピステーメーは歴史的にダイナミックに転変していく動的なものである。しかも、エピステーメー相互には、なんらの必然的なつながりはない。あるエピステーメーは、他のまったく違うエピステーメーに、突然変わってしまうのだ。そこには内的な必然性というようなものはない。その転変は突然変異のようにいきなり生じると考えられている。

フーコーがエピステーメーのアイデアを思いつくにあたって、カントのアプリオリを意識したであろうことは十分想定できる。だがフーコーは、カントのアプリオリが非歴史的で静的なイメージであることに満足できず、それに歴史性の契機を持ち込み、歴史的アプリオリとして捉えなおした。ところが、歴史の概念を持ち出すと、どうしてもヘーゲル的な進歩の要素が忍び込んでくることが避けられない。進歩というものは、誘惑の多い概念なのだ。そこでフーコーは、エピステーメーから進歩の要素を追放するために、それなりの努力を払った。その結果、進歩ではなく、独自の転変を繰り返す、エピステーメーの交代というようなユニークな考えに結びついたというわけであろう。




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